文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

8・15とは何か?

僕は、今、特攻隊で御馴染みの知覧の隣町である川辺町というところにいる。僕の生まれ、育ったところだ。というわけで、知覧の特攻基地のことは、かなり詳しい。たとえば、8・15となると、必ず知覧の特攻記念館のことが話題になる。しかし僕は、いつも違和感を感じることがある。たとえば、知覧では、中学生高校生のスピーチコンテストが開かれる。「平和へのメッセージ」とか言うらしい。「戦争という過ちは二度と繰り返しません」という趣旨のスピーチが繰り返される。「馬鹿かお前ら・・・」と思うが、僕は、黙っているしかない。「平和ボケ」という言葉があるが、このスピーチコンテストは、さしずめ、「平和主義ボケ」とでも言うべきだろうか。平和のためなら、独立戦争も民族解放戦争も、戦争というものはすべて「悪」だという発想である。大東亜戦争、あるいは太平洋戦争といわれるものは、戦争だったから必然的に「悪」だったと言えるのか?特攻隊の兵士達は、「悪=戦争」を闘ったのか?そうではないだろう。特攻隊の兵士達は、日本という国家防衛のための「聖戦」と思ったからこそ、命がけで出撃したのではないのか? 「もう戦争はいやだ」「戦争なき平和国家を」などという美しい言葉は、何を意味しているか? 軍事力という暴力装置を有しない国家が独立国家でありえないように、戦争権を放棄した国家は国家ではない。言い換えれば、「平和国家」ではなく、「平和主義国家」とは、戦争権を放棄し、国家的軍事力を放棄し、つまり「奴隷国家」、「植民地国家」、「保護国」に成り下がった国家である。むろん、そういう国家を国家とは言わない。
日本の国家弱体化の現状を、つまり日本が独立国家としての資格をもっていないということを、よく見極めた上でと思われるが、周辺国の動きが怪しくなってきている。領土侵犯が北でも南でも繰り返されている。日本が国家として保持すべき戦争権も、軍事力という暴力装置も、実質的には保持していないということを承知の上である。さて、日本は、あるいは日本国民は、これらの動きに、どう対応すべきなのか。軍事力をちらつかせ、戦争も辞さないという態度を示すべきか。それとも、「平和」と「友好」のために、つまり「奴隷の平和」のために、領土侵犯も領海侵犯も、黙認すべきなのか? いずれにしろ、われわれは、日本という国家を認める以上、戦争権と軍事暴力を認めざるを得ないのである。現在の日本の「平和」も、戦争と軍事力を背景に保持されている。つまり、いわゆる「平和主義」とは、「奴隷の平和」「奴隷の幸福」に満足することである。
昨日、8・15に、NHKがスペシャル「終戦記念特集番組」を放送したらしい。僕は、一部しか見ていない。NHKは、番組のテーマを、以下のように紹介しているらしい。

NHKスペシャル 「終戦 なぜ早く決められなかったのか」


敗戦から67年を迎える太平洋戦争。その犠牲者が急激に増加したのは、戦争末期だった。勝敗はとっくに決していたにもかかわらず、なぜもっと早く戦争を終えることができなかったのか。当時の日本の国家指導者の行動や判断には、多くの謎や不可解な点が残されている。今回NHKは研究者の共同調査で、戦争末期の日本の終戦工作を伝える大量の未公開資料を、英国の公文書館などから発見した。それらによると、日本はソ連の対日参戦を早い時期から察知しながらソ連に接近していたこと。また、強硬に戦争継続を訴えていた軍が、内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識し、戦争の早期終結の道を探ろうとしていたことがわかってきた。1日でも早く戦いを終える素地は充分に出そろっていながら、そのチャンスは活かされていなかったのである。番組では、戦後に収録されながら内容が公開されてこなかった当事者らの肉声証言なども検証し、重要な情報が誰から誰に伝えられ、誰には伝えられなかったのかを徹底分析。国家存亡の危機を前にしながらも、自己の権限の中に逃避し、決定責任を回避しあっていた指導者の実態を浮かび上がらせる。国家的な岐路における重要な決定をめぐる課題について、識者討論なども交えて考えいく。


NHKは何が言いたいのか。早く戦争を止めるべきだったと言うことだろうか。笑止である。おそらくNHKの番組スタッフは、戦争そのものを批判し、否定していると思われる。つまり、本土決戦を前提にした「徹底抗戦論」を絶対悪とみなした上で、「早期終戦論」を美化し、擁護しているということが出来る。新発見の資料などを使いながら、「国家存亡の危機を前にしながらも、自己の権限の中に逃避し、決定責任を回避しあっていた指導者の実態」を、つまり「徹底抗戦」を主張する愚かな軍首脳の実態を明らかにしていくというわけだ。さらに、加藤陽子東大教授や外交評論家岡本行夫、カン・サンジュン東大教授等の鼎談が続く。僕が見た画面で、岡本行夫がこんなことを言っていた。早期終戦工作が実現していたら、「沖縄戦はともかくとして広島長崎の悲劇は避けられたかもしれない・・・」と。正確ではないかもしれないが、確かにこういう趣旨の発言をしたと思う。ということは、何を意味するか。
沖縄の悲劇は仕方がないが・・・」と聞こえないか。「沖縄戦は仕方がない・・・」が、広島長崎の悲劇は避けられたのではないか。僕は、この物の言い方。物の考え方にひそむ「鈍感さ」「傲慢さ」「沖縄差別意識」が嫌いである。(続く)



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■戦前の昭和天皇には「眼力(メジカラ)」がある。徳川慶喜にも似ているが、眼が違う。