文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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江藤淳の「第二の敗戦」論と「沖縄米軍基地国外追放論」ー

バブル崩壊後、1998年1月、江藤淳は「第二の敗戦」を「文藝春秋」に書いた。大きな反響を呼んだが、江藤淳の言う「第二の敗戦」とは何だったのか?当時は、この言葉は、一般的には「経済敗戦」だと思われていたが、江藤淳のいう「第二の敗戦」は、もちろん、そういう意味ではなかった。実は、第二の敗戦とは、日米安保問題、沖縄米軍基地問題をめぐる日米関係論にかかわる外交問題、安全保障問題だった。江藤淳によると、日本は冷戦終結と同時に新しい可能性、つまり対米独立、自主防衛の可能性があったにもかかわらず、その可能性ではなく、逆に第二の敗戦を迎えたというのである。むろん、第一の敗戦の相手がアメリカだったように、第二の敗戦の相手もアメリカであった。つまり、冷戦終結後、自民党長期単独政権が終焉し、細川非自民連立政権が成立する。が、それも内部分裂から崩壊し、今度は自民党主導の 「自社さ」連立政権・村山政権が誕生する。その後、期待されつつ成立した自民党中心の橋本内閣だったが、平成八年四月、「橋本、クリントン会談」で、「日米防衛協力指針」、いわゆるガイドラインを取り決める。しかし、ここに問題があった。つまり、このガイドラインは、対米自立、自主防衛の可能性を探るというよりも、むしろ逆に米軍依存をさらに拡大するものだったからだ。後方支援活動に民間能力を活用することを初めて明らかにしたのだ。つまり積極的な民間協力の要請も含め、日本は軍事的な空間として、全面的 にアメリカの空間に組み込まれることになったのである。在日米軍の固定化・拡大化である。これ即ち、第二の敗戦である、というのが江藤淳の「第二の敗戦」論である。その頃から、江藤淳は「反米保守」の思想的立場を、言い換えれば、外国の軍隊に依存しない日本自立論、自主防衛論の立場を明確にしつつあったが、この「第二の敗戦」論こそ、それを、明確に宣言した論文である。とすれば、もうおわかりのように、鳩山由紀夫小沢一郎の言う「沖縄米軍基地海外移設論」こそ、江藤淳の「第二の敗戦」論の延長上にあるというべきである。政権交代の「今」こそ、沖縄米軍基地を国外に追い出し、自主防衛、日本独立を目指す絶好のタイミングだったのである。しかし、鳩山由紀夫首相は、「政治力の欠如」という資質を露呈し、自らが登用した防衛大臣外務大臣の「裏切り」に直面し、自滅する。この頃の鳩山由紀夫は、剛腕・小沢一郎幹事長の政治力を過剰に意識し、小沢一郎を遠ざけようとしていた。そして藤井裕久岡田克也・・・等を味方と錯覚していた。鳩山由紀夫の失敗は、「県外・国外移設論」を公言したことではない。アメリカや官僚たちに洗脳された「裏切者」たちを味方だと勘違いしていたことにある。本当は、小沢一郎こそ鳩山由紀夫の味方だったのだが、それに気付かなかった。鳩山が、辞任声明の直前、「親指」を立てて見せたのは、、明らかに、自分の辞任と一緒に小沢一郎も辞任させるという「小沢一郎つぶし」に成功したという合図だった。鳩山は、後に小沢一郎しか頼りにならないということを知るが遅かった、というわけである。いずれにしろ、鳩山由紀夫小沢一郎の「県外・国外移設論」は間違いではない。少なくとも、日本独立、自主防衛への風穴を開けたことは明らかである。沖縄県民だけではなく、本土の人々の多くも、そう思ったに違いない。鳩山由紀夫を「ルーピー」だの「恥知らず」だのという野中広務岡田克也、あるいは日米安保マフィアやネット右翼こそ「恥知らずの売国奴」ということになる。「沖縄米軍はいつまでも沖縄にいて日本を守ってください」「在日米軍こそ日本の生命線」「日本はアメリカの植民地であろうと属国であろうとかまいません」「なんなら日本はアメリカの『日本州』にしてください」(笑)・・・と。「米軍基地県外国外移設論」を繰り返す鳩山由紀夫を、「恥知らず」とののしっている野中広務産経新聞・・・等、「日米安保」利権屋たちは、実質的には、そう言っているに等しいのである。



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