文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「日野日出志研究2」の出版記念パーティーが、目白「いりえ」で行われました。参加したのは「日野日出志研究2」の執筆者だけですが、忘年会を兼ねた楽しい会だった。

日野日出志という漫画家がいる。漫画家といっても、何処にでもいるような凡庸な漫画家ではない。ユーモアも笑いも、ペーソスもない漫画を描いている。僕も、二、三年前までは、その名前も存在も、全く知らなかった。何も知らないうちに、日大芸術学部清水正教授に、日野日出志本人を紹介され、そのまま、日野日出志がなにものであるかをよく理解しないうちに、毎週金曜日、飲み会だけは繰り返すようになった。飲み会を繰り返すうちに、次第に、何やら、一風変わった漫画を描いているらしいことは分かったが、僕は、小さいころから漫画なるものに偏見を持っているので、興味を持つことはなかった。しかし、代表作だという『蔵六の奇病』を読ませられて、突然、漫画への偏見が消えた。かつて、「漫画は純文学を超えた」と言った漫画家がいて、大笑いしたことがあつたが、その言葉をあらためて思い出した。今度は、大笑いではなく、真面目な気分で、そう思ったのである。日野日出志の漫画は、一部に熱狂的なファンを持つらしいが、それほど売れる漫画ではない。才能が足りないから売れないのではない。敢えて売れない漫画を選択し、売れない漫画に固執し続けているのが日野日出志であった。日野日出志の漫画は、今や、日本だけではなく世界中の漫画ファンに認められ、高い評価を受けているらしい。小説にしろ批評にしろ、俗受けを狙って、売れ行きや知名度を競い、そして、それを価値評価の基準にするような批評が僕は嫌いだし、そういう批評は唾棄すべきものだと思っている。日野日出志という世俗にまみれず、俗情と結託することもなく、売り上げなどを度外視し、ただ描きたいものを描くという、優雅独尊、孤立無援の我が道を行く過激な純粋精神の権化のような漫画家に、僕は、最近の純文学が忘れているもの、言い換えれば、かつての純文学が存在根拠にしていたものと同じようなものを発見したのだった。(続く)



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