文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

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江藤淳吉本隆明の対談集を読んでいるうちに、無性に 江藤淳について書きたくなった。いや、今こそ江藤淳について書かなければならないと思うようになってきた。生前の江藤淳は保守・右翼論壇を代表する評論家だったが、今、保守・右翼論壇においてさえ、江藤淳の名前は忘れられている。江藤淳が忘れられていることと、日本の国力の衰退、日本の政治家の幼児化、政治の貧困化、論壇やジャーナリズムの地盤沈下・・・等と無縁ではない。日本の再建 、日本の再生は「江藤淳的なもの」の再発見、再評価にある、と私は思う。では、その「江藤淳的なもの」とは何か。以下の「政治評論家・江藤淳とその時代」は、その「江藤淳的なもの」を探る試みである。主に、メルマガ「週刊・山崎行太郎」で連載して行こうと思う。ある程度まとまったら、いずれ書籍化出来ればと思う。さて、江藤淳はもちろん、『夏目漱石』論でデビューした文芸評論家だった。しかし江藤淳を文芸評論家という側面だけで考えると江藤淳を見失う。江藤淳は日本を代表する文芸評論家であるだけでなく、日本を代表する政治評論家だった。江藤淳自死し、政治評論の世界から消えたあと、日本の政治評論も政治評論家も劣化し続けてきた。政治評論だけではない。政治そのものも経済そのものも、そして日本自体が、劣化の一途をたどってきた。ところで、政治評論家という職業がある。政治学専攻の学者や、政治担当の新聞記者、ジャーナリストらを中心に形成されている世界である。しかし、彼等の政治評論が優れているとか、日本の政治に役立っているとか、あるいは端的に政治評論として面白いということは、あまりない。逆に政治評論家ではない人達の政治評論の方が優れているという例が少なくない。江藤淳の場合がそうだった。江藤淳亡き後の政治評論には、何かが欠如している。何か欠如しているのか。(続く)




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