文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

東浩紀編集の『思想地図β』を読む(2)。マスコミ論壇からネット論壇への変化は、確かに大きな文化革命的な大問題を孕んでいるが、ネット論壇がすべていいわけではなく、マスコミ論壇にしろネット論壇にしろ駄目なものは駄目なのではないのか。




今日あたりから「月刊日本」11月号が発売されるらしい。僕は、今月号では、インタビュー「小沢裁判は現代のドレフュス裁判だ」と、毎号連載している「月刊・文芸時評」として「情勢論の言葉から存在論の言葉へ」・・・の二つで登場している。前者は「小沢一郎暗黒裁判」を扱っているし、後者は大震災・原発事故に右往左往する文化人たちの言葉の軽さを批判している。是非、ご一読を。さて、『思想地図β』論を続けよう。このところ各方面でマスコミとネットの相違と対立が目立っているが、むろん、僕もネット論壇、つまりブログ、ツイッターフェイスブック、動画などによる新しいネット論壇の登場と台頭は、これまでのマスメディア中心の一方通行的言論状況を、双方向的言論状況へと大きく変えつつあると考えるが、しかし、それを、単純に「マスコミかネットか」というような二者択一的な「マスコミ/ネット二元論」で考えることは、あまりにも素朴であると思う。言い換えれば、ネットやブログ等の言論も、マスコミの言論以上に画一化され、平板化し、管理されているというのが現状であろう。新聞やテレビ等のマスコミ言論を批判し、罵倒する人たちが、それ以上の言論を展開しているかといえば、まったく逆なのだ。僕は、ネットやブログには、マスコミ的言論の限界を乗り越えていく可能性はあるが、あくまでもそれは可能性なのであって、現実はかなり淋しいというのが実情だろう、と考える。それはネット右翼だけに限らない。ネット左翼もまた同じような状況である。『思想地図β』が売れているのは、あるいは多くの若者たちに支持されていのは、もしそれが正確だととすれば、それは、むしろ最近の若者たちの思想的未熟によると考える。『思想地図β』は、どちらかといえば、ネットやブログ、ツイッター等を重視している。津田大介佐々木俊尚・・・。ネット文化人を並べているが、その分だけ売れていると思われるが、それを過大評価すべきではない。『思想地図β』を読みながら僕は、これでは、思想的にも文学的にも駄目なのではないのかと考えた。「和合亮一」の詩や散文がくだらないように、「和合亮一」の詩や散文を高く評価するらしい東浩紀の文章も思想もくだらないと思う。一言で言えば、『思想地図β』や東浩紀の思考は、哲学的でも文学的でもなく、社会学的なのだ。(続く)


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