文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「朝日ジャーナル」の緊急増刊号に政治学者・岩田温君が登場している。大震災と原発事故は、いわゆるマスコミに頻繁に登場する学者、思想家、ジャーナリストの才能と能力が試された事件だったが、現在、彼らにその自覚と絶望感があるのか。相変わらず呑気に超越論的「高見の見物」と「メタ言語の形而上学」的おしゃべりに終始しているのではないか。とりわけ御厨樹、山口二郎等、政治学者たちは大震災からも原発事故から何も学んでいないのではないのか。

久しぶりに立川に行った。朝日カルチャセンターの「小説入門塾」の仕事である。ベトナム旅行などで休講や臨時特別授業などで、変則的になっていたのだが、やっと昨日から正常に戻った。前回の講義の日は、僕の小説講座の卒業生で、「北日本文学賞」や「講談社児童文学賞」等を受賞して、すでに作家として講談社等から何冊も本を出している菅野雪虫さんが、新しくまた『女王様がおまちかね』(ポプラ社)『天山の巫女ソニン(一)』(講談社ノベルス)を出したということで、新刊本二冊を持って来てくれた。立川駅ビル「ルミネ」8階にあるレストランでコーヒーやビールを飲みながら、近況など、いろいろ話したのだが、ちょっと驚いたのは菅野さんが、実は今、話題の「南相馬市」の出身であり、両親は今も南相馬市に在住という話であった。菅野さんの両親は、高齢だが、元教師ということで、地元住民の信頼も厚く、一度も避難することもなしに南相馬市で援助活動に従事しているらしい。マスコミや評論家、ジャーナリストを通して聞かされる話とだいぶ違っていることに改めて驚きと怒りを感じる。菅野さんから生々しい話を聞いて、僕は僕なりに考えることもあった。僕が、今回の大震災や原発事故の「当事者」とも言うべき人の話を聞いたのは、総和社の若い編集者・佐藤春生君を入れて二人目である。さて、昨日は、立川駅ビルのオリオン書房で、偶然見つけた東浩紀編集の『思想地図β』と、友人の岩田温君に紹介されていた『朝日ジャーナル緊急増刊』を買う。『朝日ジャーナル緊急増刊』には、岩田温君も、巻末の政治学関係のブックガイドの執筆者として登場している。いつものことだが、岩田君は、説得力のある鋭い解説を書いている。ところで『朝日ジャーナル緊急増刊』は、「政治の未来図」という特集で、巻頭の「読売新聞・渡辺恒夫主筆が語った『我が政治道』」でインタビューアーを務めている御厨樹から、山口二郎飯尾潤など、多数の政治学者や社会学者などが登場して、それぞれの専門領域にからめて現代日本政治について語っているのだが、僕の第一印象でいうと、何かピントがずれているという感じしかない。とりわけ、政権交代から民主党政権誕生にまで、深くかかわったとか言われている北大教授で政治学者の山口二郎の「政治的意思のない民主党が抱いていた大きな錯覚とは・・・」という記事には、政権交代後の民主党の失敗の歴史を検証していて、内容は多岐にわたり、それぞれ教えられることも少なくないのだが、しかし、終始、他人事みたいな語り口に、つまりあまりのリアリティの欠如に、失望した。山口は、政権交代後の民主党の失敗の歴史を、「小沢一郎」や「小沢一郎事件」、あるいは「小沢一郎暗黒裁判」抜きに語っている。リアリティが欠如するはずである。何故、「小沢一郎事件」や「小沢一郎暗黒裁判」の問題を、山口は無視黙殺するのか。それで政権交代民主党政権が語れると思っているとすれば、随分、能天気なな政治学者である。それで政治学者が務まるなら世話はない。民主党政権の失敗の原因は、「小沢排除」、そして「「小沢事件」「小沢一郎暗黒裁判」と続く一連の「「小沢問題」にある。ところで、山口二郎は、民主党内の「小沢排除」の謀略と無縁だったのか。山口は、政権交代直前まで、小沢一郎と対談を繰り返すなど、かなり親密な関係にあった。しかし政権交代実現後は、「もう小沢は必要ない」ということで小沢一郎と距離を取るようになり、やがて「小沢排除」の謀略に加担する・・・ことになったのではないのか。山口が「小沢問題」を語らないのは、語れないからである。山口が「小沢問題」を語り始めれば、たちどころに、山口自身の「政治責任」が追及されることは目に見えているからである。つまり、山口二郎こそ、民主党内の「小沢排除」の謀略の仕掛け人の一人だったのではないのか。山口は、小沢一郎元秘書で衆議院議員石川知裕逮捕の時はこんなことを書いていた。

 石川知裕代議士が国会開幕直前に逮捕された事件には、私も仰天した。政治資金収支報告書の不備くらいで国会議員を逮捕するなど、非常識な話である。検察のねらいは、ゼネコンからの裏金の流れを裏付ける自白を取ることなのだろう。これまでマスメディアが伝えてきた疑惑が本物かどうか、私にはまだ判断ができない。

 ただ、小沢一郎幹事長の対応には不満がある。幹事長を一時休職し、裁判闘争に専念するとのことだが、そこで言う検察との闘いとは何なのだろう。ことは法律問題ではなく、政治闘争である。法律闘争ならば検察が立証責任を果たさない限り自分は潔白だと主張すればよいのだが、政治闘争においてそんな呑気なこと言っていては負けてしまう。

 この政治闘争は、国民が小沢と検察のどちらを信用するかという闘いである。この闘いに勝つためには国民の信頼を勝ち取ることが不可欠である。そのためには、小沢は土地購入に関する資金の流れにやましい点はないことを積極的に立証しなければならない。

 小沢個人の政治生命だけが問われているのではない。政権交代を実現した民主党が、これから日本の民主政治を前進させることができるかどうか、更には日本の政党政治の命運が小沢の行動にかかっているのである。(東京新聞2010年1月17日)

 この文章は小沢一郎を擁護しようとしているのか。それとも擁護するふりをしながら、「お役御免」というわけで、頃合を見計らって、切り捨てようとしているのか。大久保秘書逮捕事件から石川代議士逮捕へといたる、いわゆる「小沢事件」が拡大する中で、政権交代の「同士」であったはずの山口二郎が、早くも小沢一郎という最大の政権交代貢献者を切り捨てにかかっていることが、この文章から読み取れるだろう。「この政治闘争は、国民が小沢と検察のどちらを信用するかという闘いである。この闘いに勝つためには国民の信頼を勝ち取ることが不可欠である。そのためには、小沢は土地購入に関する資金の流れにやましい点はないことを積極的に立証しなければならない。」という冷たい言葉には、どういう政治的意味と意図があるのか。ということは、私見によれば、山口は、この時点で、初めて「小沢斬り」と「小沢排除」を考え出したのではないだろうということだ。小沢一郎は、政権交代民主党政権実現のための「捨て駒」にすぎなかったのた。だからこそ、山口は、民主党政権失敗の根本原因が、「小沢排除」、つまり「小沢問題」にあることを書かないのである。ちなみに、山口二郎は、1996年時点では、小沢一郎について、こんなことを書いている。

■誰がどのようにして規範を作るのか

 現在、日本の政治と行政は大きな限界に直面している。経済の低迷、なかんずく金融危機は有能なはずの官僚の政策の失敗によって起こった問題である。官僚の統治能力自体が問われているのである。しかし、日本では官僚の失敗を追及すべき政治的主体も形成されていない。
 ウォルフレンは、政治的意志の体現者としての小沢一郎に注目し、その将来の役割に期待しているようである。しかし、私は口先で改革を唱える小沢一派に何の期待もできないと考えている。
 まずなによりも、小沢には「官の無謬性」の神話を疑う姿勢がまったく感じられない。彼の政治力、とくに政治資金の調達は政、官、財の鉄の三角形に依拠している。岩手県の地元における小沢の選挙マシーンと建設業界の関係については、横田一による優れたレポートがある。
 また、地元に限らず、小沢率いる新進党の選挙のスタイルは、かつての田中派の手法をそのまま継承している。公共事業を発注する官庁が絶大な裁量権を持ち、指名と発注を求める業者が小沢一派に金と票を貢ぎ、政治的圧力によって事業の受注をはかるという構図は、まさにウォルフレンが非難した官僚支配を前提としたものではないか。
 誤った公共事業から環境を守るために、あるいはエイズ・ウィルスに感染させられて厚生省の官僚の責任を問うために、それぞれ絶望的な聞闘いを行なっている人間の苦衷が小沢に理解されるとはとても思えない。要するに、小沢率いる新進党の「改革」だの「リーダーシップの強化」を額面どおり受け取るのは愚かだということである。
 日本政治の閉塞に欲求不満をかこっている人々にとって、強い権力という概念は蠱惑(こわく)的である。立憲主義の原理が定着し、権力者あるいは権力行為の正統性根拠を国民自身の政治参加や独立した司法府によって不断にチェックする仕組みが存在するところでは、強い権力は有益でありうる。
 しかし、日本ではウォルフレンが正しく指摘するとおり、行政権力の行動の正統性を国民が問うことは依然として著しく困難である。権力の側が自らの正統性を証明する義務を負うのではなく、国民の側が権力の誤りを証明する義務を負うのである。その結果、国民は常に敗北するのである。そうした状況で、意思決定を一元化し、強い権力を作り出せば、その結果が国民にとって何を意味するか、決して楽観的にはなれない。
(『ウォルフレンを読む』関 曠野他 窓社 1996.05.30)

 
 山口二郎は、小沢一郎という政治家に心底から惚れ込んでいるわけでも、その政治的能力を買っているわけでもない。ただ政権交代実現のために小沢一郎の「剛腕」が必要だっただけであろう。だから、いつでも、必要がないとなれば、切り捨てることが出来るのである。
(続く)



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