文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

有料メールマガジン「週刊・山崎行太郎」を配信しました。内容は「青山繁晴と関西テレビの正体」特集です。「小沢一郎暗黒裁判」の秘密の一端がテレビや新聞を中軸とするマスコミにあります。マスコミそのものが、実はこの暗黒裁判の仕掛け人なのです。今朝、辛坊治朗とかいう頭の悪い司会者が、小沢一郎やフリージャーナリストに対して「暴言」を吐き散らしたようですが、結局、辛坊治朗もこれで「終わり」ですね。「辛坊治朗よ、おまおは、官房機密費を、いくら、もらったんだよ???」(笑)というわけです。


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■以下は小沢公判の罪状認否・意見陳述全文です。


今、指定弁護士が話されたような事実はありません。
裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の主張を申し上げます。
指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした
検察審査会の誤った判断に基づくに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。

百歩譲って裁判を続けるにしても私が罪に問われる理由はまったくありません。
なぜなら、本件では間違った記載をした事実はなく、
政治資金規正法の言う虚偽記載には当たりませんし、
ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてないからです。

また本件の捜査段階における検察の対応は、
主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、
特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじったという意味において、
日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。

以下にその理由を申し上げます。
そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、
みずから発見したものであれ、マスコミ、他党など第三者から指摘されたものであれ、
その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に
自主申告して収支報告書を訂正することが大原則であります。

収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、
検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査すると、
議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性があり、
ひいては国民の主権を侵害するおそれがある。

だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、
何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても
実質的犯罪を伴わないものは検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なく、
すべて収支報告書を訂正することで処理されてきました。
陸山会の事件が立件されたあとも、今もそのような処理で済まされています。
それにも関わらず唯一私と私の資金管理団体政治団体、政党支部だけが
おととし3月以来1年余りにわたり、
実質的犯罪を犯したという証拠は何もないのに
東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。

もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。
なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、
突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。
これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。
したがってこの事例においては、
少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。
それなのに、おととし春の西松事件による強制捜査
昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、
延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸しています。
この捜査は
まさに検察という国家権力機関が
政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。

私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、
明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、
特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、
民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。

オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、
近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で
小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、政治的に類を見ない」
と言っています。
「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、
表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、
生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。
それ以上に、本件で特に許せないのは、
国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、
それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。

おととしの総選挙の直前に、証拠もないのに
検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、私を狙って強制捜査を開始したのであります。
衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、
直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。
とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも
戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。
そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるとするならば、
日本はもはや民主主義国家とは言えません。

議会制民主主義とは、
主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、
その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。

国家権力介入を恐れて、
常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。

日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、
財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。
その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。
昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、
日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。

東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、
東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、
加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、
これ以上政治の混迷が深まれば、
国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムテロリズムが台頭し、
社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。

そうした悲劇を回避するためには、
まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、
真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。

まだ間に合う、私はそう思います。

裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。

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