文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

ベトナムの高原の避暑地・ダラットのホテル・de,park(デユ・パルクにて・・・。

昨日、ホーチミン(旧サイゴン)から飛行機でダラットに移動。涼しい高原の街。フランス植民地時代の豪華なホテルやカトリック教会の建物が並ぶ。湖があり、まさに避暑地、別荘地という風景。ホテル・パレスの内部を見学。その豪華絢爛ぶりに、複雑な気持ちに襲われる。一方には、ベトナム市民の集う、猥雑で、喧騒に満ちたバザール、市場が延々と広がる。ここで三日間過ごす予定だ。ところで、日本のニュースもテレビやネットで見ることが出来る。官房長官に藤村某が決ったというニュースには驚いた。まったく知らない。岡田克也幹事長が断った結果らしい。(続く)

■野田新首相、原点の藤村氏起用…重量級次々消え
読売新聞 9月2日 8時9分配信

 野田新首相(民主党代表)の組閣構想は、内閣の要となる官房長官が決まったことで、一気に前進した。

 難産だった官房長官人事は、有力候補の岡田克也前幹事長らの同意が得られず、側近の藤村修氏に頼らざるを得なかった。

 ◆原点へ回帰◆

 藤村氏自身も職責の重さを気にして、官房長官就任には否定的な考えを示していた。8月30日夜、野田陣営の会合で、若手から「首相の盾になる気概があるのは藤村さんしかいない」と勧められたが、藤村氏は「心の底から、別の人にやってほしい」と答えた。

 そうした藤村氏の心境を知った野田氏は、岡田氏に官房長官を委ねるつもりだった。1993年の自民党離党後、政権交代まで一貫して野党暮らしに耐えてきた岡田氏の政治姿勢を、野田氏は高く評価していた。

 8月30日夜、野田氏は宿泊先の都内のホテルに、岡田氏に近い安住淳国会対策委員長を呼び、説得を依頼した。しかし、岡田氏は固辞する姿勢を変えなかった。1日には野田氏が自ら電話で岡田氏に要請したものの、了承は得られず、官房長官への起用を見送らざるを得なかった。

 野田氏は、「第3の候補」として、旧民社党系グループのリーダーで、幹事長、国対委員長文部科学相を歴任した川端達夫衆院議院運営委員長の起用も検討した。だが、城島光力(こうりき)前政調会長代理の入閣を求める同グループとの間で、調整がつかなかった。

 党の要職や閣僚を歴任した岡田、川端両氏という「重量級」が消え、残された選択肢は、官房長官の定石である側近、藤村氏という「原点」に戻った。

最終更新: 9月2日 8時9分

読売新聞

(続きは、『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!有料メールマガジン『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから、http://www.mag2.com/m/0001151310.html


人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ