文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「小沢詣で」が意味するもの。権力は落ち着くべきところに落ち着くべきだ。

民主党代表選の立候補者たちが、当然なことではあるが、さかんに小沢一郎の顔と動向を窺っているらしい。自民党の石破はそれを批判しているらしいが、相変わらず政治権力の構造と言うものがまったく分かっていないらしい。最高権力を目指すものが、現在の政界の最高実力者の顔を窺うのは当然だろう。それが理解できない石破も自民党も、もう政治権力を取り戻すことはおろか、近づくことさえ不可能だろう。民主党代表選は、立候補者たちの顔ぶれを点検するまでもなく、誰が見ても明らかに「茶番」である。しかし、この茶番劇を笑ってばかりはいられない。これが現在の日本の政治的現実なのである。我々は、ここから再出発するしかない。さて、「小沢詣で」である。僕は、これはいい傾向だと考える。「仙谷由人詣で」ではなく、「小沢一郎詣で」なのである。おそらく、立候補予定者たちは、鳩山と管の失敗の原因が何処にあったかを自覚していると思われる。鳩山も菅も、小沢一郎を恐れ、警戒しすぎて、仲間に取り込むことが出来なかったところに、つまり「小沢一郎排除」を、仙谷由人等にけしかけられて、画策したところに最大の失敗の原因がある。最高実力者・小沢一郎を排除して政権が維持できるわけがない。たとえば、鳩山は組閣時に、小沢一郎の反対を無視し、押し切ったうえで、藤井ナニガシを重要閣僚として入閣させた。鳩山は、今は、小沢一郎と一心同体のような政治行動をとっているが、組閣時から、そういう態度をとっていれば、何事も問題なく長期政権が可能だったはずである。それが出来なかったところに鳩山の政治的未熟さがある。管もまた同じである。代表選の前後、管は小沢一郎に接近し、トロイカ方式で行くと宣言したこともあったが、その宣言も一夜にして崩れた。仙谷由人や菅伸子の入れ智慧で、「小沢一郎排除」こそが政権延命に役立つと錯覚したからだ。菅が、あの時点で、小沢一郎と和解し、トロイカ方式の復活と言う道を選んでいたら、菅直人内閣の命運は、もっと違ったものになっていたであろう。権力は落ち着くべきところに落ち着くのであり、それを無視したり逆行したりすると、とんでもないことになるのである。もちろん、仙谷由人小沢一郎の役が務まるはずはない。仙谷由人の口車に乗せられた政治家の末路は、菅直人の例が示している。(続く)

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