文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

井口時男の「大震災・原発論」を読む。

必要があって東工大大学院のHPを見たら、井口時男さん(東工大教授)が 3月で大学を退職していた。前から「辞めたい」という話は本人の口からも何回か聞いてはいたが、まさか本気とは思わなかった。ちょっと心配になったので、早速、電話してみた。電話の声は意外に元気だった。大学を辞めてから毎朝毎夕、散歩。健康的な生活を送っているという。最近、10キロも痩せて体調はいいらしい。というわけで明日(28)、 いろいろ話したいことや、聞きたいこともあったので、中間地点である武蔵野線南武線の乗り換え駅「府中本町」で、久しぶりに会うことになった。「府中本町秘密会談」というわけである。いずれにしろ、これからは、井口時男は「文芸評論」一本でやっていくことになるだろう。言うまでもなく、井口時男という文芸評論家は、今時、つまり、文芸評論家とは名ばかりの、作家や小説の幼稚な「解説者」や「紹介者」「タイコモチ」、あるいは余技として文芸評論を楽しんでいるらしい「大学教授」たちばかりが跋扈する「批評不在の時代」にあって、きわめて貴重な文芸評論家である。その意味で、今こそ、小林秀雄江藤淳吉本隆明・・・等が築き上げて来た文芸評論家の系譜と伝統を回復・復権しなければならない、とつくづく思う。井口時男は、「中上健次論」で「群像新人賞」を受賞し、文藝評論家としてデビューし、その後、「物語論破局論」「悪文の初志」「柳田国男近代文学」などで文壇で存在感を示し、江藤淳が去った後の東工大に迎えられ、東工大教授としても活躍してきた。僕より5、6歳下だと思うが、同世代の文藝評論家としてはもっとも成功した部類に属するだろう。最近は、永山則夫や李珍宇、 加藤智大、酒鬼薔薇聖斗ら、要するに「少年殺人犯」たちを、社会学的視点からでもジャーナリスト的、ルポライター的視点からでもなく、「文芸評論家」らしい深い読みと分析を土台にした独特の視点から論じた『少年殺人者考』(講談社)を上梓したばかりだ。最近の「事件」や「犯罪」に対するマスコミやジャーナリストの等の批評は、文字通り、「通俗化」と「メロドラマ化」の一途をたどっている。たとえば、今また話題になっているようだが、「東電OL殺人事件」の佐野 真一。「東電OL殺人事件」では坂口安吾の『堕落論』がマクラに使われていたが、これがまたステレオタイプの通俗そのもので、この程度のメロドラマがもてはやされるところに、現代日本の思想的堕落を痛感する。たしか、佐野は、沖縄が話題になっている頃には沖縄ナントカという本を出したし、地震津波が起きると「津波と震災」とかいう本を、節操もなしに、ゴバンザメ商法で出している。それだけで僕は、佐野真一という物書きのを信用しない。要するに、事件や犯罪を追いかけ回すだけの週刊誌記者以下の思想的レベルなのである。週刊誌記者は職業だから仕方がないが・・・。話が脱線した。井口時男に話を戻そう。井口時男は、最近、「文芸思潮」という雑誌の富岡幸一郎等との座談会で、「東日本大震災」と「フクシマ原発事故」について、いかにも正統派の文藝評論家らしく、興味深い議論を展開している。井口時男の言っていることは、どちらかと言うと、吉本隆明や僕の主張に近い。「大震災と文学」なんて語りたくないと宣言した上で、たとえばこんなことを言っている。

原発賛成派の被災地の首長はただの被害者ではないはずですよ。(中略)「安全神話」というけれど、神話も人間が様々な思惑と意図でもって語るんですよ。親和に騙されたっていうけれども、騙されたいから騙されたという一面もあるはずです。このことを踏まえておかないと、この原発の問題についてもね、単なる一面的な正義の言説というかね、被害に錯乱してしまったというか興奮してしまった 、被害の言説がそっくり反転した正義の言説みたいなね、そういう一面的な言説になってしまうだろうってことですね。(「文芸思潮2011夏」)

そしてテレビコメンテーターについては・・・。


(続く)


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