文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

今、新幹線で長野へ向ってます。

今、例の「林芙美子研究旅行」で、山下先生、清水先生等と長野、上林温泉へ向っている。軽井沢にさしかかると急に霧が深くなる。軽井沢からはもう長野県だ。空気も街の雰囲気も澄んでいるように感じる。長野県は、軽井沢ぐらいまでしか行ったことがなく、これまで、あまり馴染みのないところだったが、先月、林芙美子疎開先だった角間温泉上林温泉に行ってから、急に親しみが湧いてきた。実は、もともとは、嶋崎藤村の「若菜集」や「千曲川のスケッチ」に象徴されるような長野県的、信州的ロマンチシズムが、僕の文学的、思想的感受性の原点になっているのだが、あまりにもそれが通俗的、制度的なイメージに汚染されているように感じるようになり、信州的ロマン主義を敢えて避け、拒絶、抑圧、隠蔽してきたというのが本当のところだ。たとえば、僕は、前回の角間温泉の旅で、「林檎の木」というものをはじめて見たが、ああなるほど、というわけで、中学か高校の教科書で習った島崎藤村の詩をすぐに思い出し、夢中でその詩を丸暗記した頃がよみがえり、懐かしかった。

島崎藤村「初恋」


まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり


やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり


わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな


林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

林檎の木というものも、当時はまったく知らなかったわけだが、それにもかかわなず、この詩には、胸に響くものがあった。それがロマンチシズムというものだつたのだろう。しかし僕は、今は、羞恥心無しにはこの島崎藤村の「初恋」という詩を思い出すことはできない。僕が、大江健三郎サルトルと出会うことによって、本格的な文学や思想と出会うのは、これ以後であり、この種のロマンチシズムやセンチメンタリズムを断ち切り、いわゆる「お前は、赤まんまの歌を歌うな・・・」という「歌のわかれ」(中野重治)をした後であるから当然だろう。したがってそれ以後、完全に消滅したわけではないが、島崎藤村的ロマンチシズムをひたすら抑圧して、隠蔽してきたというのが実情である。しかし、長野県、信州の自然や風景をはじめてまじかに見て、もう消えさったと思っていた島崎藤村的なものが、突然、内部から吹き上げてくるのを抑え難い。しかも先月に続いて二回目の長野、信州である。老ゲーテと同じように、眠っていたものが起きだすというのだろうか。さて、今回の林芙美子研究取材は、前回の取材で新たに浮上してきた問題の追跡調査だ。この一連の研究取材旅行チームを主導するのは、元々はドストエフスキーの研究家で、最近、林芙美子研究に入れ込んでいる清水教授だが、そのエネルギシュな取材力や追究力には感服する。僕は、もともとフィールドワーク嫌いの室内派(アームチェアディクティブ)で、この研究旅行も、単なる同伴者で、野次馬みたいなものだったが、回を重ねるたびに、この研究取材旅行から得るものは少なくなく、たとえば、林芙美子という作家にそれほど深い関心があったわけではないが、調べれば調べるほど、林芙美子とその文学に興味が湧いてくるから不思議だ。実証性や現場性の力というものだろうか。つまり観念は、常に現実に負けるという宿命を背負っているということか。今、僕は、従来の林芙美子にまつわる「負のイメージ」を転倒し、逆に林芙美子を再評価すべく「林芙美子ハイデガー」という短い論文を書こうとしている。たとえば、林芙美子文学に特有の「放浪」「行商」「旅」というような単語は、良かれ悪しかれ、「貧乏」や「苦労」「労働」「不幸」という言葉と結びついて語られるのが定式だが、はたしてそれでいいのか。そもそも林芙美子は貧乏育ちの、不幸な「少女」だつたのか。ハイデガーは「存在喪失」「故郷喪失」と言っているが、むしろハイデガーの言う「存在」も「故郷」も、「放浪」や「行商」「旅」の中にあるのではないか。人間は「定住」することによって「存在喪失」や「故郷喪失」に直面しているのではないか。林芙美子は「放浪」や「行商」や「旅」が好きだったのではないのか。そこにこそ「存在」や「故郷」との出会いがあるのではないのか。僕も、長いこと、「私には古里がない」「旅が古里であった」という林芙美子の『放浪記』の言葉を、「存在喪失」「故郷喪失」というふうに誤解、誤読していた。そうではなかったのである。いずれにしろ、昭和初期、無名の新人雑文作家・林芙美子の『放浪記』が、何故、爆発的なベストセラーになったのか、という疑問が残るが、当時の読者達も、そして戦後の読者達も、そこに「存在」と「故郷」を見出していたのではないだろうか。林芙美子は、身体を張って、存在と故郷を体現していたのだ。われわれの方が、存在を見失い、故郷喪失に陥っているのである。さて、今回の取材は、上林温泉の「塵表閣」女将(美知子さん)、および林芙美子研究家で、角間温泉の旅館に生まれ、疎開中の林芙美子を知るだけでなく、林芙美子の養子「泰ちゃん」とも遊んだことがあるという山本秀麿氏へのインタビューが主な目的であった。もちろん、林芙美子に関する取材が中心のはずだったが、最初に訪ねた山本秀麿宅から異変は始まり、なんと「あなたが帰る日」というミレーユ・マチューのシャンソンの話とそのレコード鑑賞から始まったのだった。なんで、俺たちが、長野くんだりまで来て「あなたが帰る日」なんて通俗的な恋の歌を聞かなければならないのだろう、と不可解だったが、やはりそこは長野・信州だった。この歌は、山本夫妻にとっては忘れられない、想い出の「初恋」の歌だったのだ。

Mireille Mathieu(ミレイユ・マチュー)
『UN JOUR TU REVIENDRAS (あなたが帰る日)』


Quand le soleil va se perdre à l'horizon
Tous nos souvenirs me font souffrir encore
Et le soir dans l'ombre de notre maison
J'ai besoin de sentir tes mains sur mon corps

Un jour tu reviendras, souviens-toi de la terre
Qui sans toi ne fleurie pas, souviens-toi de moi
Oui.
Un jour tu comprendras que malgré ton absence
J'ai gardé au fond de moi l'espoir de ton retour,
L'espoir de ton retour

Un jour tu reviendras pour que tout recommence
À vivre comme autrefois quand nous étions ensemble.

Car je sais que demain oui je sais que demain
Mon amour, mon amour, tu reviendras et dans tes bras
J'oublierai ton absence et la vie me semblera plus belle
Chaque jour, près de toi mon amour.

太陽が地平線に沈むとき
私達の思い出全てがいまだ私を苦しめる。
夜には私達の家の影さえも
私の身体の上に置かれるあなたの手のぬくもりが必要なのよ。

いつかあなたは戻ってくれるわね。
あなたがいないと花が咲かない大地を思い出して。
私を思い出して
ええ。
いつかあなたは分かってくれるわね。
あなたがいなくても、私は心の底であなたが戻ってくる望みを
持っているのよ。
ええ、あなたが戻ってくるって希望を。

共に過ごしたときのように、
また二人で暮らし始めるために
いつかあなたは戻ってきてくれるわよね。

それは明日かしら、ええ明日
私の愛するあなたが戻ってきてくれる
あなたの腕の中で、あなたがいなかったことも忘れて
人生がもっと美しいと感じられるわ
毎日あなたの近くにいられるのだもの。
私の愛する人


山本氏は、大学を卒業すると高校教員になり、そこの最初の教え子の一人が後の山本夫人であり、最初に教室で、この歌を教えたのだったというわけである。山本夫妻の熱い初恋談義が終わると、二階の書斎に移り、林芙美子角間温泉の話が始まったのだが、またまた脱線し、今度は川端康成の初恋の女性の話や、吉川英治の二番目の夫人で、15、6歳で料理屋に勤めていた時、吉川英治に見初められ、嫁いだ「美しい少女」の話が続くことになった。しかし、僕は、川端康成の初恋の女性にも、吉川夫人にも興味があり、大いに勉強させてもらったのだが、清水教授は、「林芙美子の話はどうしたんだ?」と言いたげで、終始、浮かぬ顔であった。しかし、初恋・純愛路線はここが終わりではなかった。我々は上林温泉でも、深夜まで、女将(美知子)さんの初恋・純愛物語を聞かされ、そして、思わず涙ぐむことになるのである。さて、山本氏は角間温泉の名門「山本家」の出身で、角間温泉の人間関係や歴史、風物には精通している。しかし田舎は何処も同じだが、なかなか複雑だ。知っていても書けないことが、たくさんあるらしい。いずれにしろ、林芙美子の足跡を訪ねて日本全国を歩いたという山本氏の行動力と調査力にも驚くほかはない。『梅は匂いよ・・・』という「林芙美子角間温泉」の関係を実証的に描いた書籍は自費出版だというから、文字通り、私財を投げ打っての仕事ということだろう。東京近辺にはいない研究者だ。一、二年のいい加減な取材で、妄想だらけのベストセラー小説をでっちあげ、「林芙美子」に精通しているかのように振る舞うような大衆通俗作家とは違う。元々は画家だそうだが、その作家研究も、決して作家論や作品論でお茶を濁すという評論家的研究ではなく、あくまでも文献と事実に固執するその徹底的な実証的研究と共に捨てがたい。いずれ高く評価される日が来るだろうと思う。見習いたいものだ。(続く)

★より詳しくは、清水正日大芸術学部教授の「ブログ」をご覧下さい。
http://d.hatena.ne.jp/shimizumasashi/20110626/1309092889


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