文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「俺に「アレ」が出来るだろうか?」とラスコーリニコフは呟いたが、「アレ」とは「アリョーナ殺し」ではなく、実は「皇帝殺し」だった。

ドストエフスキーが生き、そして書いた時代は、まさしく革命前夜で、弾圧と密告、そして情報統制と検閲の嵐が吹き荒れる恐怖政治の時代であったが、それ故に、ドストエフスキーの書いた小説は、そういう壁を乗り越えて出版されたものだという歴史的事実を考えるならば、多くの政治的仕掛けや謎が作為的に施されているはずであって、その歴史的事実を忘れて、単なる文学作品として、純粋に文学的に読むということは出来ない。たとえば、すでによく知られていることだが、『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、冒頭の部分で、「俺に「アレ」が出来るだろうか?」と呟くが、「アレ」とは、一体、何なのだろうか。作品を素直に読むならば、文字通り、「アレ」とは、シラミのような質屋の「老婆殺し」なのだが、実は「老婆殺し」という言葉には、当時の政治体制の権力構造の根幹を破壊すべく試みられるべき「皇帝殺し」という政治的メッセージが、メタファとして隠されていたのだった。なぜ、ドストエフスキーは、そんな複雑な仕掛けを施したのか。むろん検閲逃れと、当局の監視の目をくらますためである。つまり『罪と罰』は、「老婆殺し」をテーマとする、単なる犯罪小説なのではなく、革命行為としての「皇帝殺し」を目指し、それを果敢に実行した青年の物語なのである。言い換えれば、『罪と罰』は、テロリスト小説であり、革命小説なのである。(続)




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★参考ブログ…清水正ブログ
http://d.hatena.ne.jp/shimizumasashi/

「文芸GG放談」…山城むつみドストエフスキー』をめぐって…。清水正山崎行太郎。熱海「ラビスタ」にて。2010-12-26

世界有数のドストエフスキー研究者・清水正の著作。