文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

尖閣事件を契機に対米自立と核武装を急げ。

対米自立は緊急課題である。それは自主外交を構築して上でも必要不可欠である。今回の尖閣事件が暴露したものは、日本の外交政策がすべて米国に依存しているという現実であった。おそらく、いわゆる「日米安保マフィア」の連中は、ここぞとばかりに、日米安保の必要性と沖縄米軍基地の必要性を力説するだろうが、そういう思考法こそがまさに今回の尖閣事件が突きつけている問題だということを知るべきだろう。僕は、いわゆる憲法九条主義者でも平和主義者でもないから、自主防衛論にも核武装論にも反対ではない。米国の衰退や中国の台頭を目前にして、いよいよ日米安保絶対論の時代が終わろうとしている今、日本はも否応もなく、柄谷行人が言うところの「外部」と「他者」に曝されることになる。その一例が今回の尖閣事件であった。今、中国という粗暴で野蛮な、実に荒々しい巨人が、我々日本人の前に登場してきたのである。この「外部」の「他者」としての中国を、我々日本人の尺度で、たとえば「一衣帯水」だの「日中友好」だの「大アジア主義」だのという先入観で理解したり、説得したり、恫喝してみたりしても、何の効力も発揮しないだろう。この、国際法も国際道徳も通じない相手を、先進国的な国際観念を持ち出してきて非難し告発しても、ただ一時の気休めにはなるだろうが、所詮、何の意味もない。中国は、米帝国に追いつき追い越せという野望を持った新興の帝国として、トーマス・ホッブスの『リヴァイアサン』的な国際政治の舞台という暴力闘争の現場で、「力の政治」「力の外交」を展開しようとしているわけで、その中国に、敗戦後遺症のトラウマの産物でしかない戦後民主主義反戦平和主義という日本的な観念が通用するわけがない。米国の登場が理由かどうか知らないが、あるいは細野豪志が、菅直人首相の密使として中国を訪問、菅直人首相の親書を中国側に手渡し、おそらく米国に土下座したように、さらに卑屈に中国の属国になることを密約し、深々と土下座したのであろうが、そのせいかどうかも分からないが、尖閣事件の対応で、中国側が軟化しつつあるという報道がある。この中国政府の軟化に、菅直人首相や仙谷由人前原誠司等は、ほっと一安心していることだろうが、こういう政治家たちこそ、尖閣事件の意味を、つまり帝国としての中国の登場の意味を、理解しないドシロートと言うべきだろう。尖閣事件は、敗戦後遺症のトラウマの産物でしかない戦後民主主義反戦平和主義も、あるいはそれに単純に反発し、声高に「美しい日本」を叫びたてる安倍晋三的な「反・戦後民主主義」や「反・反戦平和主義」、あるいは「美しい日本主義」も、そして鳩山由紀夫の「友愛の海」も、もはや通用しないことを教えている。「力」には「力」で対決すべきである。今こそ、ニーチェ的な「力の哲学」が要求される時である。「先軍思想」という軍事力中心主義に凝り固まっている中国や北朝鮮、そして韓国を相手にして、日本が、今、「粛々とやる」べきことは、「力の政治」であり「力の外交」である。米国の核の傘から自立し、自主防衛、そして核武装を急ぐべきである。それが東アジアの平和につながる、と僕は考える。しかし残念ながら、菅直人政権が続く限り、中国や北朝鮮の乱暴狼藉を、米国のスカートの下に隠れて、幼児のごとく傍観し、ひとたび彼等が態度を軟化させ、前線から撤退すると、今度は威勢良くしゃしゃり出て来て、俺が追っ払ってやった、ザマー見ろ、とかなんとか大口をたたいてと自慢するという喜劇を繰り返すしかないだろう。ところで、日本外交の軟弱さを見て、今がチャンスとばかりに、北方領土問題を抱えるロシアのメドヴェージェフ大統領も、中国のコキントー主席と口裏を合わせ、対日攻勢を強めつつあるようだが、今度は直接、大統領自身が北方領土を訪問ということで動き始めたようで、おそらく菅直人が首相に居座り続ける限り、この流れを押しとどめることは出来ないだろう。世界中の視線が、日本沈没のドラマを面白半分に凝視していると言っていい。

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●露大統領、北方領土「近い将来何としても訪問」

露大統領、北方領土「近い将来何としても訪問」
 【モスクワ=山口香子】ロシアのメドベージェフ大統領は29日、中国公式訪問の帰りに立ち寄った露極東カムチャツカ地方ペトロパブロフスク・カムチャツキーで、北方領土について「我が国の重要な地域だ」と強調、「近い将来、必ず訪問する」と明言した。


 北方領土訪問予定の有無に関する露記者団の質問に答えた。

 実現すれば、ソ連時代を通じて、国家元首による初の訪問となり、日本の領土返還要求に対する強いけん制となる。

 インターファクス通信によると、大統領は「残念ながら現地の天候は飛行に適さない」と述べ、今回訪問する計画はあったものの断念したことを示唆した。

(2010年9月29日19時27分 読売新聞)