文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

劇作家・三上奈都子の誕生、あるいは演劇のデコンストラクション。

かなり以前のことだが、豊島重之氏らによる「絶対演劇」運動というものがあり、それが実に過激な前衛演劇で、単なる演劇活動ではなく、観客自体を拒絶するかのような、つまり演劇自体を破壊するかのような思想的、哲学的な演劇活動を展開していたことや、友人が少しこの絶対演劇活動にかかわっていたこと等もあり、僕も、しばしばその絶対演劇の舞台を観たり、さらにはその舞台の特異な演技・記号・テキストに刺激されて、ロマン・ヤコブソン言語学を土台にして、「絶対演劇論(相似性と隣接性)」なるものを書いたりしたこともあるが、最近は、「わかりやすい演劇」「やさしい演劇」等が、たとえば平田オリザ等の通俗的演劇が流行しているという噂を人伝に聞いたこともあり、それでは、現代演劇は大衆演劇に堕落しているのだなと勝手に想像し、今ではまった演劇そのものに興味を失っていた。ところが、僕が日大芸術学部でおこなっている「エッセイ研究」という講義に出席して、毎回、不思議な内容の文章を書く、つまり最近の若者にしては珍しく、哲学的、観念的な文章を書く演劇学科の女子学生がいるのだが、実は、彼女について、まったく何も知らないにもかかわらず、僕がひそかにその特異な才能と資質に注目していたのだが、その演劇学科の女子学生、つまり「三上奈都子」さんという人だが、その三上さんから、夏休みあけに突然、メールが届いて、自分で書き、演出した芝居を、代官山スタジオでやるので、観に来てほしいということだった。「芝居」、「作・演出」、「代官山スタジオ」・・・ということで、最初は何のことだか、よく分からず、ちょつと驚いたが、考えてみるまでもなく彼女は演劇学科の生徒であり、演劇を勉強しているはずだから、そんなことは、当然といえば当然のことだったのだが、それでも、その才能と資質に注目していたとはいえ、そこまで本格的に演劇に打ち込んでいるとは想像できず、やはりどこまで本気なのか半信半疑だったが、彼女がやるなら、おそらく「絶対演劇」的な、かなり前衛的なものだろうと想像しながら、一昨日、土曜日、代官山に行って、三上奈都子作・演出の芝居「I don't know」を観てきた。僕は学生時代、学芸大学駅周辺に住んでおり、東横線沿線はそれなりに詳しいのだが、しかし代官山駅に降りるのは初めてであり、代官山スタジオなるものを探すのにも一苦労した。場所が分かったので、ちょっと三上さんに挨拶してから駅前に戻り、カフェでビールを飲みながら時間を潰し、それから芝居となったのだが、芝居の方は、やはり予想通り、過激なもので、二十二、三の女子大生がここまでおやるのかと驚いたが、つまりかつて観た「絶対演劇」を彷彿させるもので、観客を容易には寄せ付けないような、激しいものであったが、僕は、こういう観念的演劇は嫌いではなく、思想的にも僕の考えに近く、かなり刺激を受けたと言っていい。「約束」で成り立つ社会、家族、国家・・・そしてそれらを集約するものとしての言葉、それらは普段は自明性の上にあるが、つまり柄谷行人が「起源は隠蔽される」というのもそのことだが、それらを起源や原点に立ち返って見ると、つまりニーチェ的な系譜学の思考を貫徹するならば、たちまち解体・溶解し、言葉が言葉でなくなり、つまりコミュニケイションも取れなくなる。しかし、そここそが起源の現実であり、原初の風景であって、演劇に限らず、あらゆる芸術は、その起源の現実や原初の風景を読者や観客にぶっつけるものだ、と僕は思っている。三島由紀夫は、「文学は読者を地獄へ突き落とすものだ」と言っているが、三上さんの演劇も、僕はそういうものを目指しているのだろうと思った。三上さんが、これからどういう演劇活動を展開していくのか、あるいはこれまでどういう演劇活動を積み重ねてきたのかも、まったく知らないが、いずれにしろ、教室にポツンと座っている一人の女子学生に過ぎなかった三上奈都子さんが、「劇作家・三上奈都子」に変貌する瞬間に立ち会えたことは、僕にとっても掛け替えのない体験であった。こんなことは期待しても、不可能だろうと思っていたが……。読者や観客の「期待の地平」に妥協することなく、これからも演劇活動を通して、独自の世界を、築き上げていって欲しいと思う。


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「劇作家・三上奈都子」として舞台挨拶する三上さん。(於・代官山スタジオ)