文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

野中広務よ、小沢一郎は「政策も理念もない政治家」ではない。小沢一郎こそ、誰よりも日本国民と民衆を愛し、国民と民衆のための政治を目指し、彼こそ理念も実力もある、そして決して人を裏切らない偉大な「民衆政治家」である

野中広務が、民主党代表選挙の投票日にタイミングを合わせるように、『文藝春秋』10月号で、小沢一郎を批判・罵倒しているが、そこで野中は、小沢一郎は「政策も理念もない政治家」だと言っているが、僕に言わせれば、野中広務のような「権力闘争大好き」「裏切り・陰謀大好き」の県会議員(、町議、町長、府議会議員?)上がりの田舎政治家こそ、政策も理念もない権力亡者であって、むしろ、今回の民主党代表選挙で証明されたように小沢一郎こそ政策や理念の人であって、野中のような頭の悪いダーティーな田舎政治家には、ただ、それが理解できないだけである。小泉純一郎に権力闘争で見るも無残に叩きのめされ、引退に追い込まれた野中が、今更、政界裏話をひろうつつ、この稀代の豪腕政治家を、御用雑誌で罵倒してみたところで、所詮、「引かれ者の小唄」にしか聞こえない。野中という政治家の品格が、どういうものかを明らかにするだけだ。ところで、民主党代表選挙にからめて、福田和也中西輝政等を筆頭に、二流、三流の政治評論家やジャーナリストの屑どもが、「それっ、小銭稼ぎ」というわけで、あわてて小沢一郎批判を始めているが、この政治評論家やジャーナリストの屑という称する屑どもも勉強不足、ネタ不足で、教養不足で、言う事が、野中のような田舎政治家とまったく同じ、「小沢一郎には理念がない、政策がない、権力亡者だ…」と、誰に指令を受けたのか分からないが、また誰から「官房機密費」的なものをもらったのか分からないが、そのあまりにも低次元の小沢一郎批判で、天下に恥を曝している。繰り返して言うが、今回の民主党代表選挙が実証したように小沢一郎こそ理念を持つ政治家だ。今回の民主党代表選挙を通じて、小沢一郎の肉声を聞いた多くの国民が、マスコミを通じて流布されている「小沢一郎=金権政治家=悪」のイメージは、マスコミと検察が作った「擬似イメージ」であって、本物の小沢一郎は、誰よりも日本国民と民衆を愛し、国民と民衆のための政治を目指し、彼こそ理念も実力も指導力もあり、そして決して国民を裏切らない偉大な「民衆政治家」であることを、そしてそうであるが故に、アメリカ政府や、既得権益に安住している官僚・マスコミ・検察に蛇蝎のごとく嫌われ、恐れられ、排除されようとしているということを、はっきり実感し、理解したはずだ。われわれは、今こそ、日本再建のために、真の民衆政治家・小沢一郎を守らなければならない。むろん小沢一郎と言えども、政策は時とともに変化、変貌する部分もあるだろうが、しかしその政治理念に変化はない。それでなければ、常に日本の政治、日本政界の中心にいて、闘い続けることが出来るはずがない。外野席から小沢一郎批判を繰り返す屑たちの声こそ、惨めな「負け犬の遠吠え」にすぎない。とこで、僕は読んだことはないが、アムステルダム大学教授で、日本でも、ジャーナリストとして著名なカレル・ヴァン・ウォルフレンが、こんな小沢一郎論を「中央公論」に寄稿したことがあるらしい。僕は、ウォルフレンの日本分析に、むし批判的であり、一度も彼の考え方に感心したことはないが、しかし、この小沢一郎論だけは読んでみたいと思う。ウォルフレンが、こんなことを言っているらしい。

「小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりである。ヨーロッパには彼に比肩し得るリーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない」(アムステルダム大学教授、カレル・ヴァン・ウォルフレン)

日本の政治評論家やジャーナリストにも、ウォルフレンの半分か三分の一程度の政治的な教養や知性でもあれば、日本の政治も大分、変わっていたのではないかと思われるが、残念ながら、日本のテレビでも新聞でも、政治や政治家を論じるのは、「官房機密費」まみれの低俗な御用文化人ばかりだ。今日もテレビ朝日のお昼の番組で、馬鹿話を延々と繰り返していたが、「テリー伊藤」のような、「官房機密費」まみれの馬鹿タレントの、くだらない政治的与太話に、頷いているようでは、日本も、そして日本人も、そして「テリー伊藤先生」(笑)程度の無知無学な男の、芸能週刊誌以下の下世話な話を重宝しているらしいテレビ局も、もう「御仕舞い」であると言うべきである。中国が舐めてくるのも当然だろう。 


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