文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

政治家にも「引き際の美学」というものがあるだろう。

菅直人参院選惨敗にもかかわらず、意地汚く居座りを続け、つまり続投を早々と宣言し、ますます恥を曝しそうな気配だが、しかも惨敗の原因は消費税増税を突然提案したことと、その提案のタイミングや方法が悪かったからであって、菅直人に対する「no」ではないと言い訳したいらしいが、この未練がましく地位に恋々とする態度を見ていると、やはり最近の政治家の思想的未熟さと決断力の欠如を感じないわけにはいかない。いつ頃から、政治家が、選挙という国民からの審判が明確になっているらにもかかわらず、それを認めようとせずに、恥も外聞もなく地位に恋々とするようになったのだろう。参院選惨敗直後に、総辞職という大方の予想を裏切って、それこそ意地汚く続投を宣言したが、二、三ヶ月も経たない内に精神的に追い詰められて、政権を投げ出すという前代未聞のドタバタを演じた安倍晋三元首相の例を思い出す人は少なくないだろうが、僕が思い出すのは、選挙結果を受けて「チクショー」という苦悶の声と共に辞任宣言した橋本龍太郎の例だが、まだあの頃までは政治家にも「引き際の美学」とでも言うべきものが残っていたのだろう。おそらく日本の「政治」や「政治家」が、急速に幼児化し、痴呆化していくのは、この「引き際の美学」の衰退と連動しているのではないかと思われる。国のトップが、選挙という国民の唯一の国政参加のチャンスと、その厳しい審判を無視・黙殺し、悠然と責任放棄した上で居座り続ければ、国民は絶望し、無力感に襲われるだけだろう。さて、菅直人は、内閣組閣にあたって、高杉晋作の「奇兵隊」にちなんで、「奇兵隊内閣」とか呼んで悦に入っていたようだが、実は菅直人は、郷土の先輩であるにもかかわらず、高杉晋作が、肝心な場面になると、いつも「逃げる男だった・・・」という秘話を知らなかったらしい。今、まさに肝心な場面に直面し、責任転嫁と言い訳を繰り返しながら、そこから必死で逃げようとしている菅直人なわけだが、やはり菅直人はその程度の人間だったということだろうか。どこまで逃げられるものか、じっくり観察するのも悪くない。菅直人よ、大いに恥の上塗りを演じてくれよ・・・と思う、今日この頃である。

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