文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

石原慎太郎と父親殺し。

石原慎太郎の父親・潔が急死したのは石原が湘南高校時代である。石原は、この頃、一年、留年しているが、これは父の急死と関係あると、僕は、長い間、想像してきたが、実際はそうではないようである。つまり石原は、父の急死の一年前ぐらいに登校拒否を続け、一年、留年しているということだ。いずれにしろ、石原が高校生の時、父・潔は「山下汽船」の社内で倒れ、知らせを受け、あわてて駆けつけたが間に合わず、社内で死亡している。この突然の父親の死が石原慎太郎にもたらした心的衝撃は計り知れないものがあったろうということは、容易に想像出来る。フロイドは『ドストエフスキーと父親殺し』という論文を書いているが、そこで、18歳ぐらいの頃、父親が農奴たちに惨殺され、それを契機に「てんかん」の発作を起こすようになったドストエフスキーの例を具体的に分析して、「父親が17、8歳の頃に死ぬと、男の子は、自らが父親を殺したのではないか…」という「父親殺し」の心理状態に陥り、深い自責の念に見舞われると言っている。フロイドは、自分自身の父親が死んだ時、すでにフロイド自身は40歳を超えていたが、この「父親殺し」の深層心理を対象化することに成功し、そこで、ギリシャ悲劇の名作、ソフォクレスの『オイディプス王』の解読を通して、男の子は、母親という存在を奪い合うことによってライバルである父親を亡き者にしたいという近親相姦願望と父親殺害の願望、つまりフロイド心理学の基礎概念である「エディプス・コンプレックス」という無意識的心理構造を持つという精神分析理論を構築していく契機を掴んだのであった。フロイドが「父親殺し」と呼び、その結果として引き起こされるこの「自責心理」が、男の子を、絶望的な不安状態に突き落とすのだが、それとともに、それ以後、抑圧する存在としての「父親なき家庭」に育つことによって、父親の支配も抑圧も受けず、男の子は、自由で伸び伸びと成長する。したがって作家には、ドストエフスキーを筆頭に、かなり早い時期に父親を亡くした例が少なくない。たとえば、僕の知る限りでも、小林秀雄大江健三郎山川方夫がそうであり、太宰治正宗白鳥等がそうである。言い換えれば、文学と「父親殺し」は、かなり密接な関係にあると言っていい。石原慎太郎の例も、もちろん、フロイドの言う「父親殺し」の典型的な例と言っていい。つまり、石原文学の根底を支配する自己破壊的な「絶望」と、何者をも恐れないかのごときの過激な言動に象徴される反道徳的な「自由」は、父親殺しの心理と無縁ではない。




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