文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

テレビはブログを、何故、目の仇にするのか?


僕は見ていないが、某テレビ番組が、近頃、流行の「ブログ」なるものを紹介し、そのブログを信用の出来ない怪しい情報満載のメディアと解説した上で、ブログを書いている人は、つまりブロガーは、「孤独」な人で、社会的なコミュニケーション能力に欠けた人だと分析していたそうだが、今更、そんなことを、売れないテレビ・タレントか、新聞や週刊誌の受け売りだけしか能のないコメンテーターごときが言っても、 誰も信用しまい。そんな話を信用する人がいるとすれば、パソコンやネットに疎い、田舎のジイサン・バアサンというような情報難民だけだろう。と言っても、近頃の田舎のジイサン・バアサンでさえ、テレビや新聞より、ネットやブログに興味を持ち、すっかり「テレビ離れ」、「新聞離れ」しているというのが実情だろう。「テリー伊藤」や「ビートたけし」、「爆笑問題(太田光)」レベルの「政治漫談」等、「所詮、テレビ芸人って、テレビ局の『犬』なんだなー」と、日本国民の多くは嘲笑いながら見ているに過ぎない。ところで、今回の「小沢事件」報道が明らかにしたのは、新聞やテレビが、検察や権力、あるいはアメリカ情報機関の奴隷であり、報道機関としてまったく信用できないいい加減なメディアだということだった。つまり小沢事件を、検察批判、マスコミ批判へと誘導したのは、佐藤優郷原信郎鈴木宗男魚住昭の各氏らの言論を除くと、ほとんどがネットやブログ発の言論であったと言っても過言ではない。近頃、「小沢不起訴」後のことだが、テレビ・コメンテーターの中には、「ツィッター」あたりで「検察の暴走」や「リーク報道」等を批判し、ネットやブログで盛り上がっている「記事」をパクっている連中も少なくないようだが、その程度の誤魔化しで、テレビ報道の信用が回復するわけでもあるまい。機を見るに敏感なテレビ関係者の中には、田原総一朗氏を初めとして、こっそり「転向」しつつあるものもいるが、読者や視聴者は、見るべきところはちゃんと見ているのだ。今回の小沢事件においては、早くから「検察と小沢の権力闘争」ということが言われていたが、言い換えれば、それは、「テレビ・新聞とネット・ブログとの権力闘争争」でもあったのである。テレビや新聞が、ネットやブログを、「犯罪の温床」か「奇人変人の巣窟」であるかのように見做し、ネット批判やブログ批判に熱中するのは、テレビや新聞が、報道機関として信用をなくし、広告料の激減が象徴するように「テレビ離れ」と「新聞離れ」が全国的に拡大し、存亡の危機に直面しつつあるからである。テレビや新聞が、今、やるべきことは、ネットやブログへの中傷や非難・罵倒ではなく、思想的に独立した報道機関としての姿勢を再構築していくことだろう。GHQやCIAの手先として、情報操作にいそしみ、いつまでも国民を騙し続けるような報道機関など、誰が信用するものか。