文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

(続)『日本テレビとCIA…発掘された「正力ファイル」』を読む。

日本テレビは、正式には「日本テレビ放送網株式会社」というが、何故、「放送」ではなく「放送網」というのか、不思議と言えば不思議であるが、実は、この「網」という言葉の中に、日本テレビの設立が、どういう目的の元になされたのかを解く鍵が隠されている。日本テレビは、アメリカのCIA、国務省国防省等の肝いりで、共産主義拡大を防止することを最大目的として、韓国、日本、台湾、フィリピン等の太平洋ネツトワーク、そしてやがては、共産主義に対抗する世界ネットワークを築き上げるべく設立された「軍事通信網」の一つだったということらしい。そうであるが故に、現在の日本テレビは、娯楽やニュース報道中心の、東京中心のテレビ放送に特化しているにもかかわらず、いまだに「放送網」という言葉が、残っているということのようだ。「網」とは「ネットワーク」ということであり、そのネットワークは、反共の防波堤としての韓国、日本、台湾、フィリピンの「太平洋ネットワーク」を意味していたらしい。つまり日本テレビは、娯楽放送の装いを取りながら、軍事的な多重通信網の役割を重要な役割として兼ねながら出発したのである。そして同時に、その多重通信網は、敗戦後、七年間のアメリカ軍による軍事的占領を脱し、サンフランシスコ講和条約によって独立した日本に対して、軍事的パワーによってではなく、心理情報戦略によって再占領を実施し、占領状態を永続的に継続することを狙っていた。心理情報戦略による日本属国化の戦略は、最近のテレビや新聞の「検察依存」と「米国依存」の体質を見ていると、依然として機能しているといって間違いない。要するに、正力松太郎によるテレビの日本への導入は、巷間、伝えられている美しい物語、いわゆる日本の通信や文化、経済の発展のためにテレビを導入したという美談とは異なり、明らかにアメリカが、反共産主義の世界戦略の一環として導入させようとした、つまり政策として「仕組んだもの」だったことが、「CIA文書正力松太郎ファイル」の発見によって、実証的に証明されたと言っていい。有馬哲夫は、「CIA文書正力松太郎ファイル」を読み解いた上で、「中身にいたっては、CIAが極秘に正力を支援することを作戦とし、その実施のための必要書類の作成を命じたり、作戦に実施許可をあたえたりしたというものだった。」と書いているが、僕は、やはり、このことを、批判するにせよ肯定するにせよ、少なくともこの現実を、日本国民は知っておく必要があると考える。つまり、「正力松太郎によるテレビの導入」「街頭テレビ」「プロ野球やプロレスの中継」「アメリカ製テレビホームドラマの放映」・・・が、我々日本国民を、反米感情を持たないように、むしろ親米感情を持つように仕組まれていたことを知るべきである、と思う。そして、現実に、テレビの普及と共に、つまり60年安保を最後に、反米的な国民運動は盛り上がらなくなっていくのである。それは、日本にはるかにおくれたとはいえ、同じようにアメリカ方式のテレビを導入し、アメリカ大衆文化を娯楽として受け入れることを選択させられた韓国、台湾、フィリピンの、いわゆる反共の防波堤としての「太平洋ネットワーク」を形成する各国でも同様だった。共産主義勢力の拡大を防止すること、反米感情を押さえ込むこと、等を目的として導入されたテレビ、つまり日本テレビは、確実に成功したメディアといえる。有馬は次のように書いている。「アメリカは占領を終結させながらも、アメリカ軍を駐留させることで、日本を軍事的に再占領した。そして、日本テレビを含めあらゆるメディアをコントロールして心理戦を遂行する体制を築くことによって、日本を心理的に再占領した。そして最後の仕上げが保守合同による安定的な親米保守政権基盤の確立という政治戦による再占領だった。」(『日本テレビとCIA…発掘された「正力ファイル」』P300)






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