文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「国家の主人は誰か?」ー「小沢事件」提起した問題の本質

僕は、「月刊日本」二月号(発売中)で、主に「天皇論」、とりわけ昨年末に沸き起こった「天皇の政治利用」問題をめぐって佐藤優氏と対談する予定だったのだが、たまたま対談の直前になって「小沢不動産購入惑事件」なるものがマスコミや検察を中心に加熱し、東京地検特捜部が、ゼネコンからの贈収賄を視野に「小沢起訴・逮捕」を狙うかのように、小沢氏の秘書だった石川議員等、「秘書三人逮捕」へと動き出したことなどから、対談の中身は、「天皇論」だけでは収まらなくなり、自然に、「小沢対検察」、あるいは「民主党対官僚」の権力闘争という問題の方へ移動していったが、そこで、佐藤優氏が提起したのは、「国家の主人は誰か?」という問題であった。つまり、「国家の支配者」は、選挙で国民の信託を得て当選してきた政治家達か、それとも学力試験をパスし、国民の審判を経ないままに、いつのまにか国家支配の中枢を牛耳る階級を形成するようになった官僚達か、という問題である。僕は、佐藤氏自身が巻き込まれた逮捕事件を、「国策捜査」論として分析・命名したことから始まり、昨年3月の「第一次小沢事件」に対しては「検察の青年将校化」論へ、そして今回の「小沢不動産疑惑事件」に対しては「官僚のクーデター」論というような、ここ数年、佐藤優氏の現代政治分析が、論壇やジャーナリズムの言説を先導してきたことを高く評価するが故に、この「国家の主人は誰か?」という問題提起にも、深く感動、同意しないわけにはいかなかった。佐藤優氏の分析を借用するならば、今回の一連の「小沢事件」なるものの本質は、一人の金権政治家の「汚職贈賄疑惑事件」でもなく、ましてや政界に付きまとう「政治とカネ」問題でもなく、あるいはまた一部の検察官僚の権力の乱用と暴走やマスコミの翼賛的報道体質などが主な問題ではなく、むろん、それらの問題が重要ではないというわけではないが、やはりあくまでも今回の「小沢事件」の本質は、「政治家(国民)」と「官僚階級」の権力闘争、つまり「国家の主人は誰か?」をめぐる権力闘争だったということが出来る。ここで重要なことは、官僚という存在である。官僚という新しい支配階級の存在である。つまり、よく言われているように、官僚(役人)は、「国民の僕(しもべ)」ではなく、一つの階級として存在し、しかもそれが巨大な権力を持つ支配階級だということである。我々は、政治家や経営者(資本家)という存在の権力性や政治性には敏感であるが、官僚という存在の権力性と政治性には鈍感である。佐藤優氏が、「青年将校化した検察官僚」論で言っているのは、悪徳政治家や資本家が国家を動かしているのではなく、「国家を動かすのは我々である」という戦前の陸軍青年将校たちの「思い上がり」と同様に、「成績優秀な我々官僚が、国家を経営するのだ…」と思い上がっている検察官僚の存在である。つまり、「天皇主権」でも「国民主権」でもなく、官僚が国家を支配する「官僚主権国家論」である。(続)





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