文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

山内昌之・東大教授の「小沢事件」論のお粗末。


「小沢事件」に関するマスコミ報道が、これまでのように東京地検特捜部の内部情報のリークに基づく一方的な小沢バッシング報道一色から、「公務員の守秘義務違反」や「検察の暴走」、あるいは「青年将校化した検察官僚のクーデター」「民主党と官僚の権力闘争」、さらには「小沢一郎には職務権限はない」「水谷建設関係者の証言は信用出来ない」等を根拠にした東京地検特捜部批判やマスコミ批判へと、「サンデープロジェクト」(テレビ朝日)や「日刊ゲンダイ」「東京新聞」、あるいは各種のラジオ番組等を筆頭に、マスコミの論調が大きく変わりつつあるが、それでもいまだに無邪気に検察からのリーク情報を信じ込み、「検察(正義の味方)と小沢(悪党)」という単純素朴な二元論的正義感を振りかざして、小沢バッシングに狂奔しているテレビや新聞、週刊誌も少なくない。たとえば、昨日発売の週刊誌で、「週刊現代」と「週刊ポスト」が、その論調が見事に対立していて面白い。「週刊現代」は、以前から小沢一郎批判に執念の情熱を燃やしてきた立花隆と、元特捜部長で、先日の「サンデープロジェクト」で、郷原信郎にコテンパンに論破され、大恥をかかされた宗像紀夫の対談を巻頭に小沢批判一色だが、それに対して「週刊ポスト」は、どちらかというと、「権力という魔物・検察の内幕」「怨念の官僚組織はこの国に何をもたらすのか」というタイトルが示すように、東京地検特捜部なる組織の暴走に対する批判が中心になっている。つまり、鈴木宗男佐藤優田原総一郎大谷昭宏鳥越俊太郎郷原信郎魚住昭…等のような情報発信力のあるジャーナリストたちによる烈しい「検察の暴走」批判発言の影響もあって、マスコミ全体の論調の空気が、東京地検特捜部の暴走への批判とマスコミのリーク報道への批判へと大きく変動しつつあることを感知して、多くのジャーナリストや評論家たちが、「小沢批判」を引っ込め、早くも「検察批判」へと転向しつつある中で、その変動する空気を読み違えて、未だに素人並みの幼稚な小沢批判を繰り返しているのが「週刊現代」であるが、中でも、転向に乗り遅れて、お笑い芸人レベルの、ピントはずれの小沢批判をやっているのが東大教授・山内昌之(イスラム史研究家)の「小沢さん、あなたは大久保利通とは違います。」という記事である。これはインタビューらしいが、まったく小児病的で、知性や教養のカケラも感じられないような、無残な記事である。山内昌之は、おそらく、東京地検特捜部とマスコミが結託して垂れ流すリーク情報に依存する大手新聞やテレビ番組しか見ていないのだろう。小沢の独裁政治や金権体質、あるいは恐怖政治を批判するのに、アテネの「僭主」政治、つまり独裁政治の例を持ち出して、こんなことまで言っている。独裁者であった「ヒッピアス(小沢一郎?)が倒れれば、本格的な民主主義が確立されるだろう」「民主党には小沢氏以外にも人材は豊富です。いま閣僚として日夜経験をつんでいる岡田克也外相や前原誠司国交相らの党首経験者をはじめ、本来の民主党らしい政策や理想をもつ清潔な政治家も多くいます。」「選挙がすべてという名分で同志に沈黙や服従を強いる『僭主支配』を打破してこそ、政権交代の夜明けが本当に来るのかもしれません。」 いやはや、まことに驚くべき卓見ではないか。小沢を追放して、岡田や前原で、本来の政権交代を実現して欲しいというわけであるが、思わず「本気かね?」と叫びたくなったが、叫ぶのはまだ早いというわけだろうか、空気の読めない山内昌之は、小沢一郎が尊敬する政治家は大久保利通だという話を逆手にとって、こんなことまで言っての借金を個人の借金を補填するほどでした。(中略)カネに関して、大久保は、まさに曇りない政治家いる。「しかし、大久保と小沢氏は大きく違う点が一つある。大久保は生前、同時代の井上馨らと違い、金銭的には清廉潔白でした。予算のつかない公共工事のために財源が足りないと私財を投じ、国でした。(中略)この点に関する限り小沢氏は大久保と異質です。」(以上「週刊現代」2/6号) これもまた、まったく見当違いの話であって、そもそも大久保が、国家の公共工事を、私財を投げ打って補填したというが、その「私財」とやらは、どこで得たものなのか。親から相続したとでもいうのか。僕は高校時代、大久保利通西郷隆盛が育った鹿児島市内の「加治屋町」という街の隣の「高麗町」に下宿していたが、現在「かごしま歴史記念博物館」のある加治屋町とは、どちらかと言えば、貧しい下級武士の町だったのであり、言うまでもなく大久保の実家が、とてもそんな資産家だったとは思えない。というわけで、大久保の「私財」なるものが、明治維新以後、政治家・大久保が蓄えた「私財」であることは間違いない。ところで僕も、政治家としての大久保利通を尊敬しているが、大久保が「カネにきれいだった」というような表層的な理由から尊敬しているわけではない。大久保利通が尊敬に値するのは、山内昌之の指摘とはまったく反対に、実は小沢一郎と同じように、近代日本国家建設という目的実現のためには、いかに悪評をばら撒かれようとも怖れることなく、独裁政治や恐怖政治を大胆に実践し、貫徹したところに、いわゆる江藤淳の言う清濁併せ呑む「治者」としての政治家だったところにある。明治新政府の参議であり司法卿であったにもかかわらず、「佐賀の乱」を引き起こした江藤新平を、自ら全権として佐賀に乗り込み、即決裁判で「除族の上、斬首さらし首」と極刑を言い渡し、即日、眼前で情容赦なく処刑(斬首の上、さらし首)したのも大久保利通だった。大久保利通を、「清廉潔白な政治家」と見做す山内昌之には、大久保という辣腕政治家の本質が見えていないだけでなく、そもそも人間の本質や革命の本質が見えていない。山内昌之は、若い頃は、共産同ブント派か赤軍派(?)の活動家だったらしいが、その割には政治も革命もまったくわかっていない。政権交代とは、鳩山首相も言ったように、一種の「革命」ではないのか。しかるに革命に、旧体制の守護役である司法権力や警察・検察権力との「仁義なき戦い」いが避けがたいことは、常識ではないのか。佐藤優を筆頭に、多くの人が「民主党と検察官僚との権力闘争」と見做している今回の「小沢事件」を、小沢個人の金銭欲や独裁体質の問題に矮小化する山内昌之が、共産同赤軍派が、過激な軍事革命路線へと変貌していく時、ついて行けなくなり、いち早く脱落して、泣きながら学生生活に舞い戻ったのも、今から見れば、当然だったのかもしれない。山内昌之は、そのお笑い芸人レベルの幼稚な発言が、結果的に、旧権力構造にしがみ付く自民党と官僚、マスコミの連合軍(アンシャン・レジーム)による「政権交代潰し」、「民主党政権潰し」に利用されていることがわからないのか。山内昌之よ、おまえに、「小沢事件」や「政権交代」という革命的な現在を語る資格はない。(続)





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