文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

国家の主人は誰か?

月刊日本」二月号で、「国家の主人は誰だ?」というテーマの下に、佐藤優氏と対談しました。一連の「小沢事件」に対して、「官僚のクーデター」「民主党と官僚との権力闘争」、あるいは「官僚ファシズムか小沢ファシズムか」というような切り口で、問題の本質を捉えようとしているのが佐藤優氏です。僕も、まったく同感ですが、僕は、小沢一郎は、野党党首時代に、ひたむきに地方行脚を続け、地方を味方につけた上で、地方からの国民の反乱として権力闘争(選挙)に勝利した、それ故に検察を筆頭にした官僚階級は執拗に「小沢攻撃」を続けるのだという理由から、より強く「小沢一郎」を支持し、擁護しています。小沢は、選挙に勝利するという民主的なルールに乗っ取って「権力」を奪取、念願の政権交代を成し遂げ、そして「支配」を確立しつつあるわけですが、これに対して小泉純一郎自民党首相は、党内基盤の弱さの故に、禁じ手ともいうべき「警察・検察組織」を使って党内に恐怖政治を敷き、それで支配を確立してきました。小泉時代には、政権が危機に直面する度に、政治家がスケープゴートとして逮捕され、その代わりに政権は延命してきました。しかるに、最近のように、「警察・検察組織」が怪物化しているのは、小泉時代に、一つの根拠があります。無能な政治家をトップにすると、しばしば、秘密警察や警察・検察が、表に出てきて、暴走します。最近の検察の暴走は小泉時代の遺産という側面も見逃せません。というわけで、以下は、詳しい「月刊日本」編集部の紹介記事です。是非、「月刊日本」二月号を、書店、あるいはインターネットFujisan.co.jpで取り寄せの上、ご一読ください。

小沢氏VS検察、そして月刊日本2月号発売
作成日時 : 2010/01/23 23:01
http://gekkan-nippon.at.webry.info/201001/article_1.html



いよいよ小沢氏と検察との戦いもクライマックスです。
本誌では一貫して特捜部のありかた、捜査方法に疑義を呈してきたので、当然、数ヶ月前から検察批判を掲載してきました。
とはいえ、小沢氏を利するのもあまり心地が良いものではない。

そこで今月号では、今回の小沢VS検察の戦いは、民主党VS霞ヶ関の最終決戦だ、という視点から、検察が勝った場合、あるいは小沢が勝った場合、それぞれ日本はどうなるのか、どうしてこんなことになってしまったのかを、佐藤優さんと、いろいろな意味で注目度急上昇中・文芸評論家の山崎行太郎氏に対談していただきました。

通常、本誌の対談は、本誌自体のページ数制限もあり、だいたい8ページがマックスなのですが、今回はあまりに話が濃密だったので緊急に13ページぶち抜きです。そのかわり異常に読み応えがあります。
佐藤さんも「現在までに発表したものの中で、もっとも踏み込んで発言したもの」と認められる特別対談、お読みのがしなく!

今月号 目次(抜粋)
【巻頭言】  南丘喜八郎   維新革命は裏切られた

【特集】天皇

南丘喜八郎 天皇の政治利用問題を論ず─京都遷幸のすすめ


佐藤 優・山崎行太郎(対談)
羽毛田宮内庁長官に物申す─国家の主人は誰だ!』


 ●→1月29日、佐藤優氏が「天皇論」と題して講演します。問い合わせは
    gekkan.nippon@gmail.com

野間 健 大和しうるはし

大久保太郎 天皇陛下のお言葉と裁判員制度

山浦嘉久 日本の天皇から世界の天皇


お求めは大型書店、アマゾン、雑誌のネット販売Fujisan.co.jpまで。



さて、検察批判といえば、先月(1月号)に本誌論説委員・山浦が寄稿した短い一文をここに転載いたします。本誌の立場が簡明にまとめられていますので、ぜひご一読を。


山浦嘉久(「月刊日本論説委員)
きれいはきたない、きたないはきれい
(fair is foul, and foul is fair)         シェークスピアマクベス

 イタリア・ファシズムのイデオローグであり、厚生経済学者であるヴィルフレート・パレートは、経済において全体の数値は、全体を構成するごく一部が決定していることを明らかにした。ここに一本のホースがあり、水が流れている。ホースの一部を指でつまむと、排出される水量は減る。指でつまんだ部分がホース全体の水排出量を決定しているわけだ。
 この考え方はシステム設計にも応用され、ボトルネック理論として知られている。砂時計をイメージすればわかりやすいが、ネックとなる部分が全体の効率を下げることになっている。効率化のためには、ボトルネックを探し出し、適切に処理することが大事になる。

 本誌今月号で平野貞夫氏、中村慶一郎氏が指摘している通り、わが国は歴史的大転換期を迎えている。この転換を明治維新に比することもできるが、徳川幕府が滅亡した原因の一つに、財政破綻がある。貨幣経済の浸透に対応できないまま米本位制に固執し、財政赤字が膨れ上がった末に滅亡したのである。そして、明治新政府の最初の大仕事は、国家の赤字をチャラにすることであった。
 現在、わが国の財政赤字は一千兆円に迫り、この巨大な赤字を抱えて自民党は滅亡した。この赤字は常識的に考えて、返そうと思っても返せる額ではない。歴史の反復から考えると、国家と民族の反映のためには、新政権はこの赤字を吹き飛ばすような、明治維新に匹敵する大胆な転換が必要である。
 ことは財政問題に及ばず、内政、外交とも、戦後64年間、わが国を呪縛していたポツダム政治体制を払拭し、真の独立国家として日本は再生せねばならない。
 鳩山新政権は、毀誉褒貶はあれども、日本の自立という方向に踏み出しており、その方向性においては間違っていない。歴史は今や大きくうねり始めている。現下の混乱は、ポツダム体制から覚醒せんとする、目覚めの苦しみなのだ。人よりも長く眠っていた者は、その目覚めは人よりも苦しいものになるものだ。

 わが国が自立と自尊の道に踏み出し、新しい政体を模索する上で、ボトルネックとなっているものがある。それこそが東京地検特捜部である。
 東京地検特捜部は戦後、GHQの指導の下、隠匿退蔵物資事件捜査部としてスタートした。いわば生みの親がアメリカなのであり、特捜部は孝子として、親のために尽くしてきた。その最たるものがロッキード事件による田中角栄の政界追放であった。昭和49年、ジャーナリストの立花隆が『文芸春秋』誌に発表した「田中角栄研究」が引き金となったのだが、この取材には大量の人員と金が動員された。立花グループは土地登記を一件ずつ検証し、角栄と関連会社の関係をすべて洗い上げた。しかし、現在に至るまで、一介の、当時は無名のジャーナリストであった立花がどこから取材資金を得ていたのかは明らかになっていない。そもそも、立花は角栄追及の原稿を依頼されたとき、「あんな程度の男に時間は割けない」と、角栄を無学歴、無教養な男と蔑んでいたのである。ところが一転し、潤沢な資金を駆使して、膨大な「角栄研究」を上梓した。「角栄研究」を元に地検特捜部は大はしゃぎして角栄を追及し、退陣に追い込んだ。
 角栄が追放された原因は、アメリカの機先を制して日中国交正常化を行い、トラの尾を踏んだからだという解説もあるが、もっと大きく言えば、田中角栄という、今月号の青木理氏の言う、汗臭く、泥にまみれながらも這い上がってきた土着の「きたない」政治家だったからだと言えよう。アメリカが望むのは、日本土着的な政治ではなく、アメリカの指示通りに、キレイにスムーズに動く政治なのである。そして、土着の「きたない」政治家が駆逐されてきたのが戦後ポツダム政治体制であり、そのお先棒を担いだ買弁売国権力こそが、東京地検特捜部である。検察の正義とは、アメリカの正義そのものである。
 現場の検察官がアメリカを意識して捜査をしているとまでは言わないが、彼らは意図せずしてアメリカを利している。それが地検特捜部の遺伝子なのだ。始末が悪いことに、彼らは自らの権力に酔い、しかも正義を行っていると信じているから、自らを省みるということを絶対にしない。酒の酔いはいつか醒めるが、権力に酔った者は醒めることを知らないのだ。

 わが国がアメリカのくびきから脱し、戦後ポツダム政体を払拭するには、東京地検特捜部こそがボトルネックであることに気づかねばならない。そして、ポツダム政治的発想は捨て去り、「きたない」政治家こそ、我が国の繁栄と国民の幸福をもたらすのだと認識せねばならぬ。回天の秋にあたり、東京地検特捜部を指弾することこそ、我ら国民の責務なのだ。

やめよ離騒の一悲曲 悲歌慷慨の日は去りぬ
吾等が剣今こそは 廓清の血に踊るかな



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