文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

中川元財務相の死に想うー「保守原理主義の時代」の終焉。


昨夜未明に、「もうろう会見」で信用失墜した自民党政治家・中川昭一氏が亡くなったらしい。理由は分からないが、これはやはり政権交代に伴う時代の転換期における犠牲者第一号ということになろう。「…しからずんば死」という政治や思想の現場の過酷さが、ここに、よく現れている。時代の転換期とは、そういうものである。私は、何回か会ったことがあるが、あまりいい印象は持っていない。しかし中川昭一という政治家が嫌いではなかった。どちらかといえば、自民党の政治家の中では好感を持っていた。しかし、直接、会ってみて、「この人は弱い人だ」と思った。「弱いからこそ、強い態度に出るのだ」ということは一目瞭然だった。中川氏が「アル中」だったということはよく知られているが、やはり、弱さゆえに酒に逃げていたのだろう。中川昭一というと、すぐ思い出すのは「NHK事件」である。その時、安倍晋三元首相とともに、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦問題」等をめぐって保守イデオロギーを強調、力説する若手政治家たちの存在が注目され、以後、小泉純一郎政権時代を経て、彼等が自民党政治の中核を形成し、やがて主導権を握ることになるわけだが、私は、中川昭一の挫折の始まりは、その保守イデオロギーにあったと思う。中川昭一氏は、郵政選挙の折は、亀井派に属していたが、亀井静香氏や平沼赳夫氏が小泉郵政改革に徹底抗戦し、自民党を離党したにもかかわらず、自民党に居残り、逆に小泉政権下では、亀井氏や平沼氏が去った後の自民党で、政界の表舞台に躍り出るというように、その政界遊泳術には、不可解な部分も少なくなかった。中川邸の前に、いち早く駆けつけた政治家の一人が平沼赳夫氏だったようだが、「政界は一寸先は闇」とよく言われるが、まさにその通りの現実になったわけである。自民党を離党し、自民党時代からはおよそかけ離れたミニ新党を立ち上げ、世間の嘲笑を浴びながらも、ここ四、五年間の苦節時代を乗り越え、今回ようやく金融・郵政大臣で復活した亀井氏。離党はしたものの亀井氏らとは別行動をとり、新党立ち上げも躊躇し、終始、自民党復党を期待しつつ優柔不断な行動をとり続け、結局、行き場を失いつつある平沼氏。そして小泉改革に賛成なのか反対なのかは明確に意思表示しないまま、自民党に残り「陽のあたる場所」を歩き続け、総理総裁候補と言われながらも、ついに自民党惨敗、政権交代、そして自らも落選、そして死…に至った中川氏。この結果を誰が予想できただろう。「政界は一寸先は闇」である。自民党の政治家たちは、今日も「保守」「保守再生」「真性保守」等と叫んでいるが、いずれにしろ、中川氏や安倍氏等の保守原理主義も、場当たりで、かなりいい加減なものだったということだろう。渡部昇一氏や中西輝政氏、櫻井よしこ氏等に扇動されて、「歴史観」や「国家観」「国益」という言葉 等とともに、彼等が声高に叫んでいたイデオロギー中心主義的な「保守主義」が自民党を自滅させた、と私は思っている。安倍晋三氏などは、せっかく総理総裁の座を掴んだにもかからず、そのイデオロギー中心主義的な「保守主義」のために、迷走に迷走を重ねた挙句、政権を投げ出し、中川昭一は「もうろう会見」で世界に大恥をさらし、そして選挙で落選、さらに追い討ちをかけるように、今回の謎の死亡事件である。現実を軽視して、理想やイデオロギー論議に狂った者の悲劇である。理想を語ることは容易だが、現実を生き延びていくことは困難だ。言い換えれば、日本の政治を狂わせ、混乱と混迷に陥れたイデオロギー過剰の「保守原理主義の時代」が、ようやく終わったということだろう。


中川元財務相が死亡=東京・世田谷の自宅で−目立った外傷なし


 中川昭一元財務・金融相(56)が4日午前、東京都世田谷区の自宅で死亡しているのが見つかった。警視庁関係者によると、目立った外傷はなく、事件に巻き込まれた可能性はないとみられる。これまでに、遺書などは見つかっていないという。
 同庁関係者によると、中川氏は自宅2階のベッドでうつぶせに倒れていた。午前8時20分ごろ、妻から「倒れている」と119番があり、救急隊員が駆け付けたが、既に死亡していた。死後7〜8時間が経過していたとみられるという。
 同庁世田谷署によると、起きてこないことを不審に思った妻が、寝室を訪れて発見。中川氏は室内着を着ており、既に体が冷たくなっていた。布団は掛かっておらず、吐血などはなかった。
 3日午後9時すぎ、妻が外出先から帰宅した際、中川氏は就寝中で、呼吸しているのを確認しているという。
 中川氏は東京大法学部を卒業し、日本興業銀行(当時)に勤務したが、父の中川一郎農水相の死去を受け、1983年12月に衆院議員に初当選。農水、経済産業両相や自民党政務調査会長を歴任した。
 2008年9月、麻生内閣で財務・金融相に就任したが、ローマでの先進7カ国財務相中央銀行総裁会議G7)後の「もうろう会見」で批判され、09年2月に辞任。8月の衆院選で落選した。


時事通信(2009/10/04-12:24)

中川元財務・金融相、自宅で急死
10月4日10時11分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091004-00000519-san-soci


 警視庁によると、中川昭一元財務・金融相(56)が4日、東京都世田谷区の自宅で死亡しているのが確認された。

 4日午前8時半ごろ、自宅の2階ベッドでうつぶせに倒れている中川氏を妻が見つけて119番通報した。救急隊が到着したときにはすでに死亡しており、病院には搬送されなかった。目立った外傷はなく、警視庁は死因などを調べている。

 中川氏は昭和58年に初当選して以来、衆院議員を8期務め、農水相経産相自民党政調会長などを歴任。今年8月の衆院選で落選した。

 中川氏は、ローマで開かれた先進7カ国財務相中央銀行総裁会議G7)後の“もうろう会見”の責任を取って辞任。選挙戦も謝罪をしながらの苦しい戦いを強いられ、最後まで有権者の信頼を取り戻すことはできなかった。



最終更新:10月4日11時11分



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