文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

保守論壇の劣化が、自民党を壊滅させた?

選挙は水物だから、具体的な選挙結果が判明するまで、予断や速断は警戒しなければならないが、しかし今回の衆院選で、自民党が壊滅的な敗北を喫し、その結果、政権交代が実現するだろうこと、つまり、ここがもっとも肝心なことだが、自民党が少数野党に転落するだろうことは、おそらく揺るがない事実だろうが、それにしても不思議なのは、「一億総保守化」とか「保守全盛の時代」とか言われる時代に、何故、「保守政党」である自民党が、過半数を制して圧勝するのではなく、逆に、少数野党に転落しなければならないのか、ということである。日本国民の多くは、「保守化・右翼化」しているのではなく、「革新化・左翼化」しているのだろうか。むろん、昨今の日本国民の多くが、「革新化・左翼化」しているわけではない。「右翼化」はともかくとして、「保守化」していることは間違いない。憲法改正にも、日の丸・君が代の法制化にも、多くの日本国民は反対しているわけではない。しかし、それならば、何故、保守化しているはずの、その日本国民が、保守政党としての自民党ではなく、どちらかと言えば左翼的・革新的な民主党を支持しようとしているのか? 僕は、現在の自民党自民党議員の体質と資質に問題があると考える。そしてその原因を深く遡っていくと、やはり自民党という国民政党を、一部の人が熱狂する、薄っぺらな「イデオロギー政党」にしてしまった「保守論壇」の思想的劣化と退廃に根本的な原因が、あると思う。現在の自民党では、安倍晋三麻生太郎が総理総裁に上り詰めたことが象徴するように、「能力」や「学力」より「世襲」や「当選回数」が重要な価値になっており、それと連動するかのように、自民党議員たちの関心は、選挙民の「生活」や「現実」よりも、政治的な「イデオロギー」や「理想」に向けられている。政治的能力のない世襲政治家たちが、声高に、天下国家の問題を論じて憂国政治家を気取り、選挙民の生活に密着した必死の訴えや悲鳴を無視・黙殺しているというのが、現在の自民党、及び自民党議員である。生活や現実を無視・黙殺し、空理空論としてのイデオロギーや理想を語るのは左翼であり、左翼政治家である、というのが本来的な概念区分だったが、今や、それが逆転している。保守化し、生活を重視する日本国民が、左翼政党化した自民党を見放すはずである。小沢一郎亀井静香のような政治的能力に優れ、尚且つ、生活重視、現実重視の古い保守政治家が、早々と自民党を見放し、それに代わって民主党中心の連立政権に参画し、これから、その中枢を担おうとしていることが、それを具体的に示している。あるいは安倍晋三麻生太郎のような無能な世襲政治家が、政治的能力が欠如しているが故に、生活や現実を重視することが保守政治の基礎だということを理解できず、それよりも、保守論壇の軽薄才子たちが繰り広げる、薄っぺらな保守的イデオロギーや理想に、安易に「洗脳」され、いっぱしの思想家かオピニオンリーダーを気取って、「戦後レジームからの脱却」だの、「東京裁判史観の克服」だの、「日の丸・君が代」…等と叫びたて、習い覚えたばかりの「歴史観」や「国家観」という言葉とともに、単純素朴なマンガ右翼的「珍説」を得意げに開陳することが、保守政治再建や保守政治再生だと勘違いしているのが、現在の自民党、あるいは自民党支持者たちの姿である。つまり、自民党が、「小沢一郎亀井静香」的な、国民の生活に密着した義理人情型の土着的政治家中心の政党から、「安倍晋三麻生太郎」的な、国民や大衆を見下し、お説教ばかり垂れている、口先ばかりの無知無学な世襲政治家中心の政党に移行してしまったことに、自民党壊滅の根本原因があるのだが、しかし政権交代後の少数野党としての自民党も、皮肉なことに「安倍晋三麻生太郎」的な、口先ばかりの無能な世襲政治家しか残らないとすれば、とても保守政党としての自民党の逆襲や反転攻勢など無理というものだろう。(続く)



 



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