昨日、知覧の特攻記念館へ。
昨日、知覧の特攻記念館に行った。外は閑散としているようだったが、駐車場は自家用車が満杯で、訪問客が多いことを示していた。夏休みの帰省客が中心かもしれないが、特攻隊への国民的関心が高まっていることも、おそらく無視できまい。ヒロシマやナガサキの記憶だけが戦争の記憶ではない。特攻隊の記憶も国民的な戦争の記憶なのだ。しかし、小林よしのり氏や櫻井よしこ氏等のように、特攻隊の青年たちを持ち出して、自らの単純素朴なイデオロギーに悪用することは、止めてもらいたいと思う。ニーチェは『悲劇の誕生』で、悲劇を、プラトン的イデア論に解消することを批判しているが、特攻隊の栄光も悲劇も、特定の政治イデオロギーとは関係なく、ただ哀しいのである。この哀しさは、普遍的である。ただ頭を垂れるしかない。