文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西田幾多郎と大東亜戦争


渡部昇一氏や田母神俊雄氏は、さかんに「日本は侵略戦争をしたのでない」「大東亜戦争は自存自衛の戦争だった」と言おうとしているようだか、そしてマッカーサーの米議会での発言まで持ち出して来て、それを論証しようとしているようだが、はたして、その「自存自衛戦争論」で、日本の「名誉」は、回復すると、本気で考えているのだろうか。もしそう考えているとしたら、それこそ自虐趣味ならぬ、自虐史観そのものと言わなければならないのではないのか。たしかに東條英機は、大東亜戦争を、「自存自衛の戦争」と考えていたかもしれない。しかし、東條英機以外の軍人や政治家、思想家、そしてその他の多くの国民が、あの戦争を、「自存自衛の戦争」という消極的な意味で、解釈し、理解し、納得していたであろうか。戦前の日本人は、英米帝国主義と戦闘を交えるにあたって、まったく無為無策だっただろうか。次の文は、哲学者・西田幾多郎の文であるが、この文は、表に出ることも、戦後の西田幾多郎全集に収録されることもなかったとはいえ、よく知られている文である。

世界新秩序の原理

要旨

真の世界平和は全人類に及ぶものでなければならない。しかるにかかる平和は、世界史的な使命を自覚せる諸国家、諸民族が、先ず地縁及び伝統に従って一つの特殊的世界即ち共栄圏を形成し、更に共栄圏が相協力して真の世界即ち世界的世界を実現することによってしか到達されない、そしてかかる共栄圏の確立及び各共栄圏の協力による世界的世界の実現こそは、現代の担っている世界史的課題である。

大東亜戦争は、東亜諸民族がかかる世界史的使命を遂行せんとする聖戦である。歴史が炳として示す如く、飽くなき米英の帝国主義は東亜諸民族を永く足下に蹂躙してその繁栄を阻止し来った。この米英帝国主義の桎梏を脱し、東亜を東亜諸民族の手に回復する道は、東亜諸民族自らが、共通の敵米英帝国主義の撃滅、根絶を期して結束する以外にない。すなわち大東亜戦争を完遂して東亜を保全し、東亜共栄圏を確立して共栄の楽を偕にすることが、現代東亜諸民族の第一の歴史的課題である。

今や志しを同じうする独、伊、その他の諸国は欧州の天地に新秩序を建設すべく勇敢に闘っている。亜欧両州におけるこの二大事業の完成する秋、真の世界平和を招来すべき世界的世界は実現するであろう。東亜共栄圏を通じて世界的世界の実現に努力すること、これが東亜諸民族の第二の歴史的課題である。

<解説>

世界はそれぞれの時代にそれぞれの課題を有し、歴史的必然を以って推移する。

 今ヨーロッパの最近世について見るに、一八世紀は個人的自覚の時代、いわゆる個人主義自由主義の時代であった。一八世紀に於いては未だ一つの世界的空間に於いての国家と国家の対立というまでに到らなかった。大局から云えば、イギリスが海を支配し、フランスが陸を支配したとも云い得るであろう。しかるに一九世紀の世界的空間に於いて、ドイツがフランスとが対立し、更に進んで植民地を含む一層大いなる世界的空間に於いてドイツとイギリスとの一大勢力が対立するに到った、これが前世界大戦の原因である。一九世紀は国家的自覚の時代、即ち国民主義の時代であった。しかしながらこの国家主義には、未だ国家の世界史的使命の自覚がなかった。従って一九世紀の国家主義帝国主義となって発展した。即ち、各国民が、何処までも他を従えることによって自己自身を強大にすることが、歴史的使命と考えられたのである。

 しかるに、国家に世界史的使命の自覚なく、単なる帝国主義の立場に立つ限り、資本主義的傾向を採らざるを得ないのであり、従ってまた階級闘争の出現を免れない。一九世紀以来の世界が、帝国主義の時代たると共に階級闘争の時代でもあった所以である。しかしながら、階級闘争を主張する共産主義は一面に於いて全体主義ではあるが、その原理は、一八世紀の個人的自覚による抽象的世界理念の思想に基づくものである。思想としては、一八世紀思想の一九世紀的思想に対する反抗と見ることもできる。故に共産主義は今日に於いては、帝国主義と共に過去に属するものであり、従って新たなる世界史を形成する指導原理たる資格を喪ったものである。全体主義はかかる指導性を喪った帝国主義及び共産主義に対する反撃であって、一方帝国主義の侵略に抗すると共に他方共産主義による内部攪乱に備えんとしたものである。全体主義が国民の全体性を強く主張したのはその為である。

 今日の世界は、世界的自覚の時代である、各国民が、各自世界史的使命を自覚することによって、一つの全く新しき時代、換言すれば、世界史的世界即ち世界的世界を構成しなければならない時代である。前世界大戦の終了と同時に世界は現にこの段階に入ったのである。今次の世界大戦はその発展たるに過ぎない。

 過去の世界に於いては、各国家各民族は、地理的制約の為に十分連絡づけられていなかった。しかるに科学の進歩は交通の発達を促がし、その結果今日に於いては、近接する諸国家諸民族が一つの世界的空間に於いて緊密なる関係の置かるるに到った。かかる世界的空間に於いて強大なる国家と国家が対立する場合、世界は当然激烈なる闘争に陥らざるを得ない。そしてこれを解決する途は、各国家が世界史的使命を自覚し。各自自己に即しつつ自己を越えて一つの世界的世界を構成する以外ない。現状を以って国家民族の世界的自覚の時代という所以である。

 注=特に民族と云うは、蒙古、仏印ビルマフィリッピン、印度及び南方諸民族を考慮せるためである。

 しかしながら各国各民族が自己に即しつつ自己を越えて一つの世界を構成すると云うことはウィルソンの主張せる国際連盟に於いての如く、各民族の現実的能力を考慮せずして、何れの民族に対しても一律平等に独立を与えんとすることではない。凡ての民族に対し無差別平等に独立を与えることは、却って民族の為に考えざるものである。如何にして弱小民族を育成するかが問題である。かかる民族主義の考える世界は十八世紀的な抽象的世界理念に過ぎない。かかる思想によって現実的課題の解決の不可能なることは、今次の世界大戦が証明するところである。

 事実に於いて、凡ての国家凡ての民族は、いづれも固有の歴史的地盤に成立したものであり、従ってそれぞれ固有の世界史的使命を有するものでなければならない。そこに各国家各民族が各自の歴史的使命を有するのである。故に各国家各民族が一つの世界的世界を構成するということは、国家及び民族が各自に即しつつ自己を越えて、それぞれの地域、伝統に従って先ず一つの特殊的世界即ち共栄圏を形成し、斯くて歴史的地盤から構成された特殊的世界が相結束して、更に一つの世界的(世界全人類を含む世界)を構成することである。かかる世界的世界に於いては、各国各民族が各自の個性的生命に生きると共に、自己の構成する特殊的世界(共栄圏)を通じて、一つの世界に結合するのである。これが今次の世界大戦によって要求される世界新秩序の原理でなければならない。

 今次世界大戦の課題が斯くの如きものであり、世界新秩序が斯くの如きものであるならば、東亜共栄圏の原理も自ら此から出てこなければならない。従来東亜諸民族は米英の帝国主義の為に蹂躙せられ、各自の世界的使命を奪われていた。今や大東亜戦争と共に、東亜諸民族は何れもその世界史的使命を自覚し、各自自己に即しつつ自己を越えて一つの特殊的世界、即ち東亜共栄圏を構成し、以って真の平和を招来すべき世界的世界を実現しなければならない。日本民族は、世界的使命の自覚における先進であり、大東亜戦争はこの世界史的使命遂行の烽火である。日本民族が、一億一心如何なる犠牲をも恐れず、国運を賭して戦争遂行に直進しつつあるのは、東亜共栄圏の確立が、アジアを救うと共に、全人類に光明を与うるものであることを確信するからである。然しながらこの確信は単に我等日本人だけではない。我等の声に応じて、欣然大東亜戦争に参加した東亜諸民族に於いて共通である。

 更にまたドイツ、イタリアを始め枢軸側諸国は、ヨーロッパ新秩序を建設する為に勇敢に戦いつつある。ヨーロッパ新秩序の完成と共に、世界新秩序の完成に寄与するものであることは疑いを容れないのである。

 重ねていう、大東亜戦争に伴う東亜共栄圏の確立は、一つの新しき世界、換言すれば世界史的世界の形成に到る第一過程である。皇道を表明する八紘為宇の理念は、かくて世界的世界形成即ち世界史的世界形成の原理として理解されるのである。世界史的世界形成主義即ち新世界主義こそは、米英帝国主義を克服する使命を担うものである。

 この西田幾多郎の一文は、陸軍の求めに応ずる形で書かれたものらしいが、しかし、あまりにも難解であったが故に、それを東條英機等が理解できず、ボツにされたものらしいが、ここで西田幾多郎は、決して、消極的な、「自存自衛の戦争」というような意味での戦争論などを展開しているわけではない。西田幾多郎は、明確に、この戦争は「世界史的使命」を帯びている「世界新秩序の形成」を目指す積極的な意味での戦争であると捉えている。おそらくそれは、西田幾多郎だけではない。大川周明も、蓑田胸喜も、そしてその他多くの日本人が、多少の違いはあれ、そう考えていたに違いないのだ。渡部昇一氏や田母神俊雄氏等の考える「自存自衛戦争論」の政治学が「弱者の政治学」なのに対して、西田幾多郎等のそれは、明らかに「世界新秩序」の形成を目指す「強者の政治学」、言い換えれば、江藤淳の言う「治者の政治学」だと言っていい。だから米英帝国主義主導の「東京裁判」で、パールやマッカーサーを持ち出して、無罪を主張することは間違いであり、むしろ堂々と「有罪」をこそ主張すべきだったのである。(続く)






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