文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

保守論壇の御用文化人どもが自民党を崩壊させた。


自民党を現在の崩壊的危機に導いたのは、自民党を甘やかし、それと同時に自民党の政治家たちに迎合し、ひたすらゴマスリを続けてきた保守論壇の御用文化人たちだが、ささしずめ渡部昇一はその筆頭だが、東條英機について、こう書いている。

東條さんが陸軍次官になったのは昭和十三年(1983年)ですから、支那事変勃発の翌年です。ですからここで注目しておきたいのは、東條さんは、支那事変が起こったことには何の責任もないということです。支那事変はアメリカとの戦争につながる一番の大きな要因ですが、それには東條さんは何の関係もなかったということは指摘しておくべきでしょう。それから昭和十一年(1936年)の日独防共協定にも、昭和十二年(1937年)の日独伊三国防共協定にも関係しません。全く関係がなかったということを強調しておかねばなりません。(『東條英機 歴史の証言』)

渡部昇一の『東條英機 歴史の証言』は、こういう言葉に溢れているが、こういう言葉が、何を意味しているかは、渡部昇一には分かっていないようだが、明らかである。昭和十五年の陸軍大臣就任から昭和十九年総理大臣辞任までの四年間、東條英機は、政権の中枢にいたわけだが、肝心の戦争責任、ないしは政治的責任は東條英機にはないと、渡部昇一はいっているわけだが、それなら、渡部昇一は、何故、戦争責任も政治責任のない東條英機をわざわざ取り上げるのか。東條英機は無罪だと言いたいのか。そしてついでに、渡部昇一は、日本も無罪だと言いたいのか。東條英機は、東京裁判法廷で、今次の戦争は、「自存自衛の戦争だった」と主張したらしいが、渡部昇一も、それが言いたいらしい。次のようなことも言っている。

しかし日本の場合はナチス・ドイツとは異なり、一つの党の党首が独裁的にすべてを計画し遂行したわけではない。東京裁判の範囲に入れられた最初の年である昭和三年(1928年)から、日本の内閣や方針はしばしば変更され、しかもその変更はたいてい受動的に体外的情勢に応じたものであった。

渡部昇一が何が言いたいのかは、ここでほぼ分かるが、渡部昇一は、馬鹿正直に、さらに次のように言って、念押ししている。

大陸政策はコミンテルンの暗躍に応ずるものであり、満州国誕生後は清朝の最期の皇帝であった溥儀が日本公使館にころがりこんだことから始まった。日本の経済的苦悩はホーリー・スムート法によるアメリカの保護貿易、それに続くイギリスのブロック経済圏(アウタルキー)のためである。

 
これでは、我々の父母の世代は、大東亜戦争において、徹底して無能で無策だったと言っているようなものだが、渡部昇一は、そうは思わないらしい。さらに次のように言っている。

シナ事変は今では明らかになったようにコミンテルンの手先が始めたものである。その事変が日本陸軍の切なる願いにもかかわらず終息しなかったのは、ソ連アメリカ、イギリスが中立国の度を越え、シナに対し、参戦同様の支援をしたからであった。
アメリカ・イギリスとの開戦は、マッカーサー証言の如くその包囲網により、日本の全産業・全陸海軍が麻痺寸前まで追い詰められたから余儀なくされたのである。すべて日本のやったことは受動的反応であった。

コミンテルンが…」「アメリカが…」「イギリスが…」「ソ連が…」「中国が…」、次々と謀略を仕掛けてきた…、そして日本は悪くなかった…、日本は仕方なく戦争に巻き込まれただけだ…、ということだろうが、そもそも戦前の日本人は、そんなに無知・無能だったのか。「世界革命」を目指すコミンテルンや、独立を目指す中国、そして米、英、ソが、新興の帝国主義国家・日本を、様々な謀略を駆使して追い詰めていくことは当然ではないか。それに対して、「英米中心主義を排す」と言い、「大東亜共栄圏」構想を宣言し、そして「我が帝国陸海軍は、米英を相手に戦闘状態に入れリ…」という臨時ニュースを聞き、「来るべきものが来た」と興奮し、歓呼し、必勝を誓ったのは、日本国民ではなかったのか。しかし、渡部昇一が言いたいことは、東條英機を筆頭に、戦前の日本人は、無能無策な、そして清く、正しい、美しい「弱者」だった、ということだろう。つまり、渡部昇一が言いたい事は、僕なりに言い換えると、戦前の日本国民は馬鹿だった、だから許してください、ということだろう。少なくとも、渡部昇一の思考法は、ニーチェが言う「力の政治学」、あるいは「力の哲学」「超人の思想」とは対極にある思考法と言うべきだろう。こういう「弱者の政治学」を恥ずかしげもなく、というより得意になって公言する人が、保守論壇や保守ジャーナリズムの「重鎮」だというのだから、保守論壇や保守ジャーナリズムが劣化・退廃し、そしてその保守論壇や保守ジャーナリズムの言説を熟読し、その影響を受け、「弱者の政治学」に落ち込んだ自民党が、自滅・自爆するのは当然だろう。「弱者の政治学」を自ら公言するようなホンモノの軟弱な「弱者」たちは、政治権力を持つべきではないし、さっさと政治権力の中枢からは去るべきだろう。山奥に引き込んで、静かに家庭菜園か盆栽でもやっていればいいのである。そういう「清く」「正しく」「美しい」…弱者は、政治家であってはならない。国民を泣かせるだけである。




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