文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

保守論壇の重鎮・渡部昇一の「昭和史」のデタラメを読み解く。


渡部昇一は、現在、保守論壇の重鎮という位置に祭り上げられているらしく、本人も満更でもないらしく、すっかりその気になって、いかにも「保守論壇の重鎮」風の言動を繰り返しているらしい。僕に言わせれば、まさにそこに、つまり渡部昇一ごときが、「保守論壇の重鎮」であるかの如く振舞えるところに、昨今の保守論壇や保守ジャーナリズムの劣化と知的退廃の病根があるのだが、誰もそれには気付いていないらしい。渡部昇一が、「沖縄集団自決裁判」に関連して、「騒げば金が手に入ることがわかったから騒いでいる」というような、読むのもはばかれるようなデタラメ発言を繰り返してきたことは、すでに何回か検証したから、繰り返さないが、渡部昇一の中心的な仕事と言えば、おそらく「英語学」とか「英語学史」というようなものではなく、やはり「昭和史」なのではないかと思う。渡部昇一が、どれだけ「昭和史」なるものを深く広く探求、解明しているかは知らないが、渡部昇一の「昭和史」は、一種の政治漫談としては面白いが、とても思想史や政治学歴史学、あるいは国際政治学の問題として扱うにははばかれるようなシロモノである。僕は、今、手元に『東条英機 歴史の証言』(詳伝社、平成18年)と『昭和史 松本清張と私』(ビジネス社、2005年)の二冊を置いているが、渡部昇一の「昭和史」は、簡単にまとめるならば、「受動史観」だと言っていいと思う。「受動史観」とは、悪いことは、全部、他人の責任に転嫁し、「自分は悪くない」「日本は悪くない」と言いつつ、「中国が悪い」「ロシアが悪い」「アメリカが悪い」…そして「日本は仕方なく戦争に巻き込まれただけだ」と言うような「子の論理」、あるいは「被害者の論理」、つまり「負け犬の遠吠え」的史観である。僕は、そこのところに渡部昇一的「昭和史」の思想的弱点、あるいは昨今の保守論壇や保守ジャーナリズムに蔓延している思想的弱点があると思う。渡部昇一の「昭和史」やマンガ右翼・小林よしのりの『戦争論』を適当に「いいとこ取り」して、それをアレンジしたのが、田母神俊雄の『日本は侵略国家か』というエッセイらしいが、それも、渡部昇一同様の、同じような思想的弱点を内包していることは言うまでもないし、また一時的とは言え、「田母神俊雄ブーム」なるものを巻き起こした保守論壇や保守ジャーナリズムの思想的限界も、そして今や解党的危機に追い込まれ、断末魔の迷走を続ける自民党の、安倍晋三中川昭一等を筆頭とする「真正保守派」(笑)の政治家たちの思想的限界も、明らかである。(続く)にほんブログ村 政治ブログへ