文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西部邁の「小林秀雄批判」に異議あり!!!

西部邁が、中島岳志との対談を一冊の本にまとめた『保守問答』という本があるが、そこで、西部邁が、僕などから見れば明らかに保守思想の元祖とも言うべき小林秀雄という思想家について、批判的な感想を述べているのだが、これがなんともはや、まったくいい加減なもので、この程度の小林秀雄認識で、よくも保守論壇を中心にして保守思想家として振舞ってこれたものだ、と驚くほかはないが、西部邁は、たとえば、こう言っている。少し長いが引用してみる。「やっぱり小林秀雄には、いかにも思想の論理の短絡ぶりが目立っていた。簡単にいうとこうなんです。そういう言葉は使ってないんだけれども整理すると、西洋思想っていうのはいってみれば、分析主義であり合理主義であり、しょせん理屈の体系にすぎない。それに対峙したのは物それ自体、ものの存在感ということになる。小林はそのことを強調した。それが最晩年の本居宣長論における「もののあはれ」になるんです。物のかもし出すある種の情感、自己の美意識に対する「もの」からの訴えかけ、それを感じられるのは我がアジアであり我が日本であると言う話になる。それじゃ大東亜戦争なんかするなよ、てなもんです。あるいははじまったら「やめろー!」と叫ぶべきであった。戦争をするりとくぐり抜けて、終わったあとは、自分は一兵卒として戦争に行っただけだから反省したい奴はたんと反省しやがれって、なかなか鮮やかなセリフではあるんですけどね。」ここには、とんでもない無知と無教養から出た多くの誤解と偏見に満ちた言葉が語られているが、僕は、西部邁が、小林秀雄を嫌って排斥したのは、小林秀雄の文章が理解できなかったからであり、当然のことだが、ろくに小林秀雄の原文(テキスト)を読んでさえいないからだということを、これらの発言は自分から暴露していると思う。たとえば、引用文の末尾にある「戦争をするりとくぐり抜けて、終わったあとは、自分は一兵卒として戦争に行っただけだから反省したい奴はたんと反省しやがれって、なかなか鮮やかなセリフではあるんですけどね…」という発言は、まったくの無知か誤読の産物である。小林秀雄は、そういうこと、つまり「自分は一兵卒として戦争に行っただけだから反省したい奴はたんと反省しやがれ…」ということを言っていない。これでは、小林秀雄が徴兵されて兵役に服したかのように読み取れるが、実際は、小林秀雄は、戦場へ慰問や視察には出掛けたが、兵役には服していない。むろん、「一兵卒」として戦場に赴いていない。これは、戦前の発言、「戦争が始まれば一兵卒として戦うのみだ…」という決意を述べた発言を、戦後の「近代文学」のインタビューでの発言「自分は馬鹿だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか…。」という発言と混同し上で、誤読し、誤解しているのであろう。西部邁の「小林秀雄理解」がどの程度のものであるかがよく分かるが、しかしこれは、まだほんの序の口で、より本質的な問題は、本居宣長の「もののあはれ」に関する発言の部分だろう。実は、ここは、小林秀雄本居宣長の「存在論」と「認識論」にあたる部分で、いわばもっとも原理的な部分だが、西部邁には、これがまったく理解できていない。次の部分に注目していただきたい。「それに対峙したのは物それ自体、ものの存在感ということになる。小林はそのことを強調した。それが最晩年の本居宣長論における『もののあはれ』になるんです。物のかもし出すある種の情感、自己の美意識に対する『もの』からの訴えかけ、それを感じられるのは我がアジアであり我が日本であると言う話になる。」そして、恥ずかしげもなく、とんでもない発言を付け加える。「それじゃ大東亜戦争なんかするなよ、てなもんです。あるいははじまったら『やめろー!』と叫ぶべきであった。」と。これで、西部邁が、小林秀雄の言う「物」が何を意味しているかということにまったく無知であり、また本居宣長の「もののあはれ」という言葉が何を意味しているかに対して、まったく無知無能だということが、よくわかる。小林秀雄が「物」という時の「物」とは、「格物到知」という朱子学の言葉に近い。そもそも、哲学とは、あるいは物理学を含むあらゆる科学とは、「物とは何か」、言い換えれば「存在とは何か」を探ることを目標とする学問であろう。確かに、西部邁が言うように、小林秀雄は、「西洋思想っていうのはいってみれば、分析主義であり合理主義であり、しょせん理屈の体系にすぎない。」というようなことを、しばしば言っているが、しかし、それは、ベルグソン哲学の「分析的思考」と「直感的思考」の二元論を前提にしたうえで、分析的思考では物の本質は捉えられない、物の本質を捉えるためには直感的思考に頼るほかはない、と言っているのであって、小林秀雄は、ここで、西部邁はおそらくそう解釈しているようだが、いわゆる神秘的非合理主義の認識論を唱えているわけではない。西部邁は、西洋思想史には、近代合理主義的伝統と反近代主義的伝統が共存していると言い、日本の知識人は、反近代主義的、あるいは近代合理主義批判の伝統に無知であると言って嘲笑しているが、なんと驚くなかれ、反近代主義的、あるいは近代合理主義批判の伝統に無知なのは、この発言を見るまでもなく、西部邁自身であるということになる。小林秀雄が、反合理主義的、あるいは反近代主義的な認識論について、宮本武蔵の兵法理論書『五輪書』を例に出して、分かりやすく語った文章があるので、引用しておく。「武蔵は、見るという事について、観見二つの見様があるという事を言っている。細川忠利の為に書いた覚書のなかに、目附之事というのがあって、立会いの際、相手方に目を附ける場合、観の目強く、見の目弱く見るべし、と言っております。見の目とは、彼に言わせれば常の目、普通の目の働き方である。敵の動きがああだとかこうだとか分析的に知的に合点する目であるが、もう一つ相手の存在を全体的に直覚する目がある。『目の玉を動かさず、うらやかに見る』目がある、そういう目は、『敵合近づくとも、いか程も遠く見る目』だと言うのです。『意は目に附き、心は附かざるもの也』、常の目は見ようとするが、見ようとしない心にも目はあるのである。言わば心眼です。見ようとする意が目を曇らせる。だから見の目を弱く観の目を強くせよと言う。今日、史観とか歴史観とかいう言葉が、しきりにつかわれているが、武蔵流に言うと、どうもこれは観というより見と言った方がよろしい様だ。歴史観という言葉は、或る立場からする歴史の批判或いは解釈という意味に専ら使われているが、観という言葉には、もともと或る立場にたって、或る立場に頼って物を見るという事を強く否定する意味合いがある。現実の一切のカテゴリカルな限定を否定して、現実そのものと共鳴共感するという意味合いがある、という事は既にお話しした通りです。」(「私の人生観」) 小林秀雄がここで言っている「見」の認識論と「観」の認識論は、それぞれ、ベルグソンの言う「分析的認識」と「直感的認識」に区別できるだろうが、もちろん、これは神秘主義や独断主義ではない。科学者もまた、未知の領域の探求においては、分析的認識、つまり科学主義的認識にではなく、いわゆる直感的認識に、つまり「観」の眼に頼っているのであって、これは、反科学主義や反合理主義を意味するものではない。この小林秀雄の認識論を読んだ上で、尚、西部邁のように、「それじゃ大東亜戦争なんかするなよ、てなもんです。」という人がいたら、いい笑いものになるだけだろう。西部邁という自称・保守主義者には哲学も形而上学もまったく理解できていない。西部邁中島岳志が、小林秀雄でも江藤淳でもなく、福田恒存に接近し、福田恒存を保守思想家の代表として偶像化したがる理由がよく分かるだろう。




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