文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西部邁こそ大衆である。


西部邁の思想というものを、誤解を恐れずに簡単に要約するとすれば、それは、結局のところ「大衆批判」というものであろうと思うが、しかし、漫画という大衆に密着した娯楽と結託しているマンガ右翼・小林よしのりの『戦争論』を、それが圧倒的に売れて大衆の支持を得ていると思った故かどうかは知らないが、小林よしのりの『戦争論』を批判するものたちを反批判し論難しつつ、保守論壇や保守ジャーナリズムの仲間たちをも巻き込んで、全面的に擁護する論陣を張った時点で、西部邁は、彼自身が大衆そのものであることを体現して見せた、と言っていいように思われる。したがって、「大衆の熱狂」とやらを批判してきたはずの西部邁だが、学生時代は、左翼学生運動に「熱狂」し、そして壮年になれば、時代の流れを先読みして保守へ転向し、その時代の「熱狂」を象徴する「保守思想家」に変身した上で、その時代の熱狂する大衆である「マンガ右翼」や「マンガ保守」、あるいは「ネット右翼」を扇動し、アジる漫画家・小林よしのりと組んで、「新しい歴史教科書をつくる会」で一暴れして「熱狂」を演じた挙句、それが終わるまもなく、「つくる会」の元仲間を論敵・ターゲットにして、今度は「反米保守」の論陣を張り、またまた「親米保守」と「反米保守」の戦いという「熱狂」劇を演出して悦に入っているというように、絶えず「大衆の熱狂」と結託して生きてきた西部邁こそ、まさしく愚鈍なる大衆そのものと呼ぶべきだろう。しかしむろん、ここで大衆という言葉の意味は、単純ではない。西部邁自身が、かつて、こんなことを言っている。「僕が民度の低さというものについて苛立っていることは確かですが、それは知識人、とりわけ専門的知識人の民度があまりにも低すぎるということなんです。私が言う大衆のプロトタイプというのは、その種の知識人なんです。」(『立ち腐れる日本』栗本慎一郎との対談集、光文社、1991) 僕は、この西部邁の言葉を聴いて、やはり西部邁は、何回、転向を試みようと、やはり左翼的体質からは抜け出せそうもないな、と判断せざるをえない。おそらく、小林秀雄福田恒存も、そして三島由紀夫江藤淳も、日本人に対して、あるいは日本の大衆、あるいは大衆としての知識人に向かって、軽々しく「民度が低い…」なんて粗雑な、そして下品な言葉を使うことはないだろう。ここにこそ、まさしく西部邁が、自分の風貌・知性を棚に上げて、日本と日本人を、侮蔑し、憎悪するかのように「民度の低い土人…」と呼び捨てにした浅田彰と同様に、自分だけはそういう「民度の低い土人」ではないと思い上がっている左翼知識人であることが、暴露されていると言っていいだろう。つまり、ここに、西部邁浅田彰が、日本人を啓蒙し、納得させられるような「作品」を創造することが出来ない理由がある。ところで、大東亜戦争を異国の戦場で戦ったり、あるいは銃後の苦しい生活に耐えた国民を、小林秀雄は、「国民は黙って事変に処した…」と言ったが、それは最大限に日本国民の叡知と精神を尊重し畏怖した言葉だった、と言っていいが、西部邁には小林秀雄のような日本人、および日本国民一般への信頼も畏怖もない。西部邁は、栗本慎一郎を相手に、こういうことも言っている。「私の子供は戦地に送りたくないと言い、その延長上で国としても、世界にどういう事情があろうとも軍事行動をとるべきではないというのが『公』の世論となる。政治家も企業の経営者も含めて、私が定義する意味での『女』が得意とする『私』の感情論に、国を挙げて流れ込んでいっているわけです。そういうことを指して、私は『民度が低い』と言うんです。…」 そうだろうか。そんなに「公」の論理と「私」の論理が、簡単に区別でき、差異化できるものだろうか。西部邁が、戦後日本に蔓延しているという「女」の感情論、あるいは「私」の感情論というものが、はたして日本及び日本人の「民度の低さ」を体現していると断言していいものだろうか。西部邁は、子供を、戦場に送ることになったとき、世の「母親」のように躊躇しないのか。あるいは、戦前の「日本の母」は、子供を戦場に送ることを躊躇しなかったというのだろうか。たとえば、召集令状を受け取った三島由紀夫は、兵庫県の田舎で父親に付き添われて徴兵検査を受けた時、たまたま不合格で兵役免除となった瞬間、父親とともに喜びを隠し切れずに、もしや今の不合格判定は間違いで、実は目出度く合格でした、と追いかけて言いに来るのではないかと心配して、そうならないように一目散に現場から逃走したのではなかっただろうか。三島由紀夫父子の感情も、「私」の感情論、「女」の感情論だったことになるが、はたしてどうだろうか。いずれにしろ、西部邁が、小林よしのりの『戦争論』における「公」の論理を、つまり私的感情を犠牲にして、堂々と「公」の論理にしたがって戦場へ向かうことを引き受ける戦前の日本の母子を賛美する『戦争論』を、いとも易々と肯定し、擁護してしまうのは、西部邁のものの考え方の左翼的単純さと粗雑さを象徴しているように思われる。そもそも、上の発言は、1991年の「湾岸戦争」に対する柄谷行人中上健次等の「文学者たちの反戦声明」を批判するための発言だが、しかし「イラク戦争」になると、今度は西部邁は、いろいろ理屈はあるのだろうが、小林よしのり等と組んで、「イラク戦争反対」、「アメリカ批判」に、いわゆる「反米保守」とやらに転じている。「湾岸戦争」には反対せずに、「イラク戦争」には反対する。両方ともブッシュ父子が試みた戦争だが、二つの戦争は、どこが、どう違うのか。「私」よりも「公」の論理を優先するならば、どの戦争も同じだろう。西部邁小林よしのりは、今でも、「イラク戦争」に反対したことを、アメリカ・ブッシュのイラク戦争は失敗だったという結果論的現実を根拠に自慢し、あるいは「小泉・竹中構造改革」に反対したことを、その構造改革の結果として格差社会や貧困問題があらわになったことを根拠に自慢するが、それにどんな意味と価値があるのか。競馬の予想屋じゃあるまいし、いちいち、予想や批判が、「当たった」「当たった」という知識人、文化人が何処にいるだろう。今になってみると、我も我もと、「小泉・竹中構造改革」には反対だったとか、批判していたとか言う連中が、雨後の筍のように湧き出しているが、西部邁小林よしのりも、そういう愚鈍な大衆と同じである。「当たった」のならば、黙って、次にどうすべきなのかを議論するのが、本来の知識人や文化人の務めではないのか。


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