文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

北野誠事件の真相は?ーマスコミ・芸能界は「全体主義の島」か?


マンガ右翼の小林よしのり氏が、沖縄の情報言論空間を批判して、「沖縄は全体主義の島」と言ったとき、僕が違和感を感じたのは、沖縄の情報言論空間云々のことよりも、東京、大阪を中心にした日本の情報言論空間を、「自由な情報言論空間」と勝手に思い込んでいるかのような、小林よしのり氏の能天気な語り口の方であった。つまり、沖縄の情報言論空間が「全体主義の島」ならば、東京、大阪を中心にした日本の情報言論空間もまた「全体主義の島」なのであって、それを自覚できない小林よしのりは、やはりマンガ右翼でしかないと感じたというわけである。人間にとっては、自分たちの属する情報言論空間の実態を知ることは難しい。中国や北朝鮮の国民も、日本の国民と同様に、言論も思想表現も自由だと思っているはずである。誰もが、自分たちの属する情報言論空間だけは、自由で、民主的に運営されていて、つまり言論思想表現はすべて自由で、全体主義とは無縁であるかのように錯覚しているのである。むろんすべては幻想である。自由な国家等、何処にも存在しない。さて、北野誠というタレントが、某宗教団体か某芸能プロに関連して舌禍事件を起こし、某勢力から圧力をかけられて、芸能・マスコミ界から追放されそうな雲行きになつているらしい。事務所の「松竹芸能社」は、所属タレントの北野誠氏を「無期限謹慎処分」に、つまり実質的には芸能・マスコミ界からの永久追放を決断したそうである。北野誠という芸能人のことを詳しくは知らないので、論評する立ち場にないが、僕の知りえた情報の限りで言わせてもらうならば、北野誠氏の芸能・マスコミからの永久追放は、当然だろうと思う。北野氏はたしか、毒舌を売り物にしているタレントのはずであるが、僕は、この毒舌タレントなるものが嫌いで、その言論に常に違和感を感じてきた。この毒舌タレントなる人達は、小林よしのり氏と同様に、自分だけは自由であり、いかなる言論統制も受けておらず、自由闊達に表現活動を行っている、と錯覚している種族からだ。むろん、そんなことはありえない。彼等の自由や民主制、あるいは言論表現の自由の保障は、見せ掛けだけのものでしかない。しかるに、われわれの属する情報言論空間が、実は全体主義そのものでしかありえないという真相を知らせられるのは、事件や事故、あるいは革命や戦争、クーデターに直面した時である。そういう時にしか、「見えない暴力装置」としての「情報工作」や「言論弾圧」「言論統制」の実態は露呈しない。北野誠氏は、自分には「思想表現の自由」は保障されているはずだと錯覚した時から、マスコミ・芸能界からの追放は、既定路線だったのである。要するに、マスコミ・芸能界などと言うものに言論の自由や思想表現の自由などと言うものはないのであり、自らの属する情報言論空間の言論統制や情報操作の実態に無自覚なままに、あたかも、言論の自由や思想表現の自由などというものが、「あるかのように」錯覚しているところに知性の欠如が露呈しているのであり、そしてその挙句が、小林よしのりと同様に、舌禍事件と言うことになるのである。自らの属する情報言論空間の言論統制や情報操作の実態に無自覚なままに、沖縄の情報言論空間だけを批判して、「沖縄は全体主義の島」だなどと能天気なことを言っている限り、小林よしのり氏もダメなのである。


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