文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「かんぽの宿」は「赤字=不良債権」だった、という竹中平蔵等の政治的情報工作の裏を暴き出せ。


オリックス不動産への「かんぽの宿」入札譲渡にまつわる騒動の大きな根拠になっているのは、竹中平蔵等が強調する「かんぽの宿」は「赤字=不良債権」だったという認識だろうが、はたして本当に、「かんぽの宿」は赤字であり不良債権だったのだろうか、ということになると、「赤字=不良債権」ではなかったのではないかという疑いが消えないわけだが、というのも、「赤字=不良債権」というマスコミを総動員しての国民向けの情報宣伝工作こそ、実は竹中平蔵等「小泉構造改革」一派が乱用した常套手法の一つだったからだ。たとえば「小泉・竹中構造改革」の名の下に、日本の銀行を次々と倒産・合併に追い込むという銀行再編の時も、会計基準の見直しや自己資本比率の変更などによって銀行の財務内容の危機を作為的に演出し、同時に貸しはがし不良債権の拡大を加速させることによって、銀行の「倒産・合併やむなし」という世論をもりあげる情報工作があったのだが、元郵政官僚で、日本郵政公社常務理事だった稲村公望氏によると、「かんぽの宿」の「赤字=不良債権」説の背景にも、同じような工作が行われたらしく、つまり、「公社時代、会計基準の見直しで減価償却期間を60年から25年に短縮したため、帳簿上、年度ごとの赤字額が増大…」(「サンデー毎日」)したというものらしい。「かんぽの宿」の場合は、「赤字だ、赤字だ…」と騒がれたが、実際は、施設の人気は上々で、お客はいっぱいだった。では、未だに、何故、「かんぽの宿」の「赤字=不良債権」説が根強いのか。稲村公望氏によると、その政治的からくりとは、「『赤字だ』と世論をあおって減損会計を導入し、資産価値を低く見積もって一括譲渡するような手口…」が、つまり「かんぽの宿」を作為的に不良債権化することによって、売却価格を低く抑えるという政治的動機が背景にあったからだ、と言う。まったく稲村公望氏の言うとおりだろう。さらに付け加えるならば、採算の合わない、つまり不良債権だった「かんぽの宿」の多くは、すでに売却ずみのはずで、今回、オリツクス不動産に一括譲渡されるはずの「かんぽの宿」関連施設は、実は、都心に近い「ラフレさいたま」や「郵政社宅」等がそうであるように、多くは不良債権どころか、「宝の山」であったらしい。では、竹中平蔵氏らは、何故、「かんぽの宿」は「赤字=不良債権」だ、だから一刻も早く処分しなければならないという論理を、馬鹿の一つ覚えのように繰り返し、そして強調するのか。むろん、今更、分析するまでもなく、その隠された政治的意図は分かる人には分かるだろう。ところで、竹中平蔵大臣の元秘書官で、今は竹中平蔵氏らの口利きで「慶大教授」に天下っているらしい岸博幸氏が、ネットを中心に燃え広がりつつある「かんぽの宿」スキャンダルの発覚後になって、経産省官僚として「郵政民営化」や「かんぽの宿」疑惑に加担したという経歴と立場から逃げるに逃げられず、形勢不利と見たか、泣き言を言うかのように、「ネットはゴミの山だ…」「日本には民主主義もまだ定着していない」と幼稚園児並みの弱音を吐いて、必死で日本国民の民度の低さを嘆いて見せているが、ならば、日本国民たる岸博幸氏がネットに書き散らしているネット言説も、「ゴミの山」の巨大ゴミということになるわけだが、いずれにしろ、「負け犬の遠吠え」というか「引かれ者の小唄」というか、笑止である。まともな学者としての反論があれば、泣き言など言う暇があったら、論理的に、そして学問的に、堂々と反論し、「郵政民営化」「かんぽの宿譲渡」擁護の論陣を張って自説を展開して見せろよ、と忠告しておこう。



岸博幸氏の「ネットはゴミの山」というネット発言
http://diamond.jp/series/kishi/10027/

竹中平蔵氏の鳩山邦夫批判の動画。
http://diamond.jp/feature/takenaka_sp02/
http://policywatch.jp/tag/郵政民営化/




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