文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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曽野綾子と沖縄集団自決事件(1)

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大江健三郎の『沖縄ノート』における渡嘉敷、座間味両島の守備隊長の「自決命令」記述が、名誉毀損に当たるかどうかで争われた「沖縄集団自決裁判」は、大阪地裁、大阪高裁の二つの判決で、ほぼ決着がついたとと言っていいだろうが、ノーベル賞作家を被告席に引き摺り出した、この前代未聞の名誉毀損裁判の火付け役である作家の曽野綾子ルポルタージュ『ある神話の背景』の問題点は、依然として残っていると言うべきだろう。この判決結果について、曽野綾子の感想を是非とも聞きたいものだが、何処かに発表しているのだろうか。あるいは、これから発表する用意があるだろうか。むろん、曽野綾子の感想などどうでもいいことだが、大江健三郎の『沖縄ノート』に触発されて、渡嘉敷島の守備隊長、「赤松嘉次」の行動と足跡を、現地取材と当事者たちへのインタビューなどで、綿密に辿ったという『ある神話の背景』だが、この曽野綾子の『ある神話の背景』の「執筆動機」の話が、真っ赤な嘘らしいことは、曽野綾子が雑誌「諸君!」に連載した時のテクストに、大江健三郎批判の文言が、一度も出ていないことからも明らかである。つまり、曽野綾子の大江批判は、『ある神話の背景』を書籍化する時、後から本文に書き加えたものに過ぎない。むろん、削除したり書き加えたりすることが、悪いわけでわない。書き加えたものにすぎない大江批判の一文を、『ある神話の背景』の根本的な「執筆動機」だと、偽装することに問題がある。いささか大げさに言えば、その文章から、「沖縄集団自決裁判」は始まった、と言っていいのである。曽野綾子の罪は軽くない。(続く)




★「沖縄ノート」訴訟 大阪高判決理由の要旨
http://book.asahi.com/news/OSK200810310117.html

沖縄ノート」訴訟 大阪高判決理由の要旨

2008年10月31日

 「沖縄ノート」「太平洋戦争」をめぐる名誉棄損訴訟の控訴審で、大阪高裁が31日に言い渡した判決の理由要旨は次の通り。

 【判断の大要】

 1 「太平洋戦争」の記述は控訴人梅沢の、「沖縄ノート」の各記述は控訴人梅沢及び赤松大尉の、社会的評価を低下させる内容と評価できる。しかし、高度な公共の利害に関する事実にかかわり、もっぱら公益を図る目的のためと認められる。以上の点はおおむね原判決が説示する通りである。

 2 座間味島及び渡嘉敷島の集団自決は「軍官民共生共死の一体化」の大方針の下で日本軍が深くかかわっていることは否定できず、これを総体としての日本軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る。しかし控訴人らが直接住民に命令したという事実に限れば、その有無を証拠上断定することはできず、各記述に真実性の証明があるとはいえない。

 3 集団自決が控訴人らの命令によるということは、戦後間もないころから両島で言われてきたもので、各書籍出版のころは学会の通説ともいえる状況にあった。各記述は少なくともこれを真実と信ずるに相当な理由があったと認められる。また「沖縄ノート」の記述が意見ないし公正な論評の域を逸脱したとは認められない。したがって各書籍の出版は不法行為にあたらない。

 4 各書籍は昭和40年代から継続的に出版されてきた。その後の資料等により、控訴人らの直接的な自決命令については真実性が揺らいだといえるが、各記述やその前提とする事実が真実でないことが明白になったとまではいえない。各記述は歴史的事実に属し、日本軍の行動として高度な公共の利害に関する事実にかかわり、公益を目的とするものと認められることなどを考えると、出版当時に真実性ないし真実相当性が認められ、長く読み継がれている各書籍の出版等の継続が不法行為にあたるとはいえない。

 5 したがって控訴人らの本件請求はいずれも理由がない。

 【証拠上の判断】

 1 控訴人梅沢は、(村幹部らに)「決して自決するでない」と命じたなどと主張するが、到底採用できない。村の幹部が軍に協力するために自決すると申し出て爆薬等の提供を求めたのに対し、玉砕方針自体を否定することもなく、ただ「今晩は一応お帰り下さい」と帰しただけであると認めるほかはない。

 2 (座間味島住民の)宮平秀幸は、控訴人梅沢が自決してはならないと厳命したのを聞いたなどと供述するが、明らかに虚言であると断じざるを得ず、これを無批判に採用し評価する意見書、報道、雑誌論考等関連証拠も含めて到底採用できない。

 3 梅沢命令説、赤松命令説が(戦傷病者や戦没者遺族への)援護法適用のために後からつくられたものであるとは認められない。

 4 (略)

 5 時の経過や人々の関心の所在、本人の意識など状況の客観的な変化等にかんがみると、控訴人らが各書籍の出版等の継続により、人格権の重大な不利益を受け続けているとは認められない。

 【判断の大要4の前提となる法律的判断】

 名誉権に基づく出版物の事前差し止めは、その表現内容が真実でないか、もっぱら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときに限り、例外的に許される(最高裁昭和61年6月11日大法廷判決)。

 本件は、すでに出版されている書籍の出版等差し止めを求めるものであるが、表現の自由、とりわけ公共的事項に関する表現の自由の持つ憲法上の価値の重要性等にかんがみ、原則として同様に解すべきである。

 さらに本件のように、高度な公共の利害に関する事実にかかわり、もっぱら公益を図る目的で出版された書籍について、発刊当時はその記述に真実性や真実相当性が認められ、長年にわたって出版を継続してきたところ、新しい資料の出現で真実性等が揺らいだような場合、直ちにそれだけで出版を継続することが違法になると解することは相当でない。

 そうでなければ、著者は過去の著作物についても常に新しい資料の出現に意を払い、記述の真実性について再考し続けなければならず、名誉侵害を主張する者は争いを蒸し返せることにもなる。著者に対する将来にわたるそのような負担は、結局は言論を萎縮(いしゅく)させることにつながるおそれがある。

 また、特に公共の利害に深くかかわる事柄は本来、事実についてその時点の資料に基づく主張がなされ、それに対して別の資料や論拠に基づき批判が繰り返されるなどして、その時代の大方の意見が形成される。さらにその大方の意見自体が時代を超えて再批判されていく過程をたどる。そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる。

 特に公務員に関する事実はその必要性が大きい。仮に後の資料からみて誤りとみなされる主張も、言論の場において無価値なものであるとはいえず、これに対する寛容さこそが自由な言論の発展を保障するものといえる。したがって新しい資料の出現により記述の真実性が揺らいだからといって、直ちに当該記述を含む書籍の出版の継続が違法になると解するのは相当でない。

 もっとも、(1)新たな資料等により当該記述の内容が真実でないことが明白になり(2)名誉等を侵害された者がその後も重大な不利益を受け続けているなどの事情があり(3)当該書籍をそのまま発行し続けることが社会的な許容の限度を超えると判断されるような場合があり得る。このような段階に至った時は、当該書籍の出版をそのまま継続することは不法行為を構成するとともに、差し止めの対象にもなると解するのが相当である。

 本件で問題になっているのは、控訴人梅沢及び赤松大尉が、太平洋戦争後期に座間味島渡嘉敷島の住民に集団自決を命じたか否かであって、2人は日本国憲法下における公務員に相当する地位にあり、各記述は高度な公共の利害にかかわり、もっぱら公益を図る目的のものである。各書籍の出版の差し止め等は少なくとも、その表現内容が真実でないことが明白であって、かつ被害者が重大な不利益を受け続けているときに限って認められると解するのが相当である。(朝日新聞より)


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