文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

村上正邦先生の「収監」に思う……。


最近、頻繁にお会いしている人に村上正邦という元政治家がいる。現役ではないとはいえ、特定の政治家、あるいは元政治家にこれほど身近に且つ頻繁に接したのは、初めてである。先日も、収監を直前にした某神社での断髪式とやらに参加させてもらって髪に鋏を入れさせてもらったが、村上正邦先生ご自身は、すでに人生を達観しておられるようで、明鏡止水の境地とかで、さすが大物政治家として永田町に君臨していただけの事はあると、賛否両論はあるだろうが、あらためて政治家としての懐の深さ、その政治哲学の深遠さ、人間的な大きさ……というものを感じさせられた。さて、その村上正邦先生が、一昨日、収監されたわけだが、刑期は二年二ヶ月とかで、実質的にはかなり早く出で来ると思われるが、それにしてもかなり高齢の上に、体調も思わしくなく、健康状態が心配されるが、それでも持ち前の気力でどうにか持ちこたえられるだろうとは思うが、やはり日本の司法機関というものの政治性と謀略性を感じて、つまり佐藤優等の言う「国策捜査」「国策逮捕」を連想して暗い気持ちになる。さて、ここ一、二年、村上先生は、「一滴塾」という組織を作り、佐藤優氏等とともに精力的に思想活動とも思われるような言論活動を行い、著書だけではなくインタビュー本や対談本なども多数出版し、汚職事件で逮捕、有罪を宣告された元政治家としてはかなり異色な「その後の人生」を送ってきた。村上先生が、収監を前に、穏やかに、しかし信念をもって「明鏡止水」という言葉で、あるいは千日回向を目前にした「山伏」の心境に託して、今の自己を語れるのは、そうした思想活動や言論活動の積み重ねがあったからと思われる。政治家が政治を語っている限り、あるいは政治の世界に留まっている限り、その政治家はホンモノの政治家とはいえない。政治家がホンモノの政治家になるのは、政治思想は勿論のことだが、政治という枠を超えて、哲学や宗教や思想にも深い関心を持ち、それらを完璧とまでは言わないが、ある程度の段階まで極めた時であろうと、僕は思う。戦後政治の総決算だとか戦後レジームからの脱却だとか、昨今の物を知らない無知・軽薄な政治家達は軽々しく習い覚えたばかりの「保守思想」と「保守理論」とやらを声高に主張するが、むしろ戦後の政治家達の方が、いろいろな意味でよく物を考え、よく物を知っているホンモノの政治家だったという気がする。村上正邦先生の「収監」にさいして、改めて、そのことを確認したいと思う。 ← 人気・ブログ・ランキングへ


小泉純一郎の狂態パフォーマンス。これが日本の今時の政治家の実態だ(笑)。
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http://jp.youtube.com/watch?v=TEuLU1dO_cw