文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「マンガ右翼」の時代は終わった!!! 小林よしのりの「主体性論」と「同調圧力論」の欺瞞的な使い分け方について、その欺瞞性を論ず。


昨日、僕が講師をしている朝日カルチャーセンターの「小説実作塾」で、「作者が作品に参加し、主人公に感情移入すべき……」という江藤淳の「作家は行動する」的な文体論と小説論の実例として、大江健三郎「セヴンティーン」と曽野綾子の小説作品の差異について触れた折、二人が主役を演じている沖縄集団自決裁判についても言及し、その集団自決の舞台となった渡嘉敷島座間味島の話をしたところ、講義終了後のお茶会の席でたまたま隣りに座ることになつた女性が、ちょうど1980年ごろ、つまりバブルの頃らしいのだが、座間味島にはダイビングでよく行きました、と話してくれたのにはちょっとビックリしたが、よく考えてみると、まさしくその頃とは、宮平秀幸が自分の民宿の部屋で夜遅くまで本田靖春に集団自決の話をしていた頃のことであって、ひょっとして宮平秀幸の「ざまみ丸」に乗ったかもとか、隣の部屋で話を聞いていたかもね、などと言って笑ったのだが、当時は、本田靖春も書いていたが、バブルに浮かれた東京の若者達が大挙して沖縄の離島にダイビングを目的に押しかけていた頃の話な訳で、当時の若者達はみんな金を持っていたとか、近頃の若者達は就職もろくにないわけで、ダイビングなんてとても無理でしょう、などと話してくれたのだが、ところが話はそれだけではなく、もう一人の年配の女性が、近づいてきて、明日から沖縄の石垣島へ旅行へ出掛けますのでここで失礼します、と言いつつ、お茶も飲まずに早々に帰って行ったのには、さらにビックリした。沖縄も座間味も石垣島も遠いところだが、今は、決して遠いところではないのだ、と改めて思い知ったのだった。それから昨日は、帰宅途中に立ち寄ったブックオフの100円コーナーで、たまたま小林よしのりの「沖縄論」を手に入れることが出来たので、今、少し読んでみようかなと思っているところだが、日頃、マンガというものをほとんど読まない僕には、ちょっと映像が眼前に過剰にちらついてしまって、冷静に読むのにはうっとおしい感じがしないでもないが、我慢して読んでいるところだ。というわけで、小林よしのりの「沖縄論」をダシにして小林よしのり批判を展開しようと思うのだが、その前に、先日も紹介したが、小林よしのりが、目取真俊を論争相手にして「琉球新報」に書いた文章をテキストにして、小林よしのりの「沖縄集団自決」論について触れておこう。

琉球新報」2008年12月18日文化面

目取真俊氏に反論する>小林よしのり /「軍馬一頭」だった/解せぬ「主体性なき民」説

  
 目取真俊氏が十一月三日付「風流無談」欄で「事実ねじ曲げる小林氏」「『軍命』否定に家族愛利用」と題して、わしの主張の文脈を強引に悪意に解釈して紹介し、人格に及ぶ中傷までしている。だが目取真氏が小説家なら、米軍の艦砲と上陸による極限状況で、当時の住民がどんな心理状態に陥ったか、少しは想像も交えてリアルに状況を描写してみるべきではないか?
 一体、どこの誰が「軍命があったから」という理由のみで妻子の命を手にかけられるのか?そんな軍命には断固背いて家族と共に逃げ、米軍に殺されようと、日本軍に殺されようと構わないではないか。当時の沖縄県民が、家族愛よりも軍命を選んだなんてことはない、とわしは主張しているのだ。
 目取真氏は「戦時下の沖縄住民は日本軍の全面的な統制下で暮らし、行動していた」という心理状態にあったから、軍命に逆らえなかったと主張する。だが軍命一つで家族が命を奪い合う「全面的な統制」なんて、どうすりゃできるのだ?わしには当時の沖縄県民がそこまで主体性を喪失していたとはどうしても思えない。沖縄県民の家族への愛情は健全であった。そして地域の絆の深さは特に強固だった。だからこそ共同体の「同調圧力」は強かったはずだ。一人が死のうと言い出せば、逆らえぬ空気が生まれる、これが「同調圧力」だ。
 集団自決でもそのような空気が支配したのではないかと思うのだ。中には「軍命」と嘘をついてでも煽動した者もいただろう。目取真氏は実例を示せと言うが、「軍命と聞いた」という証言はたくさんある。一例を挙げれば座間味島では役場職員が「玉砕命令が下った」と住民を集めている。だが軍命はなかったと実証されているのだ。しかも人々は晴れ着姿で集まったという。なぜ晴れ着で?それは「立派に死のう」という主体的「意思」ではないか?
 「日本軍の全面的な統制」というが、第三十二軍が沖縄に来たのは米軍上陸のわずか一年前で、それ以前に沖縄にいた日本軍は「軍馬一頭」と揶揄される程度でしかなかった。沖縄県民は、たった一年間で軍隊に全面的に統制され、家族愛をかなぐり捨て、軍命を絶対視するようになったのか?
 目取真氏は「日本軍が住民に米軍への恐怖心を吹き込んだ」という。では日本軍が吹き込まなければ、沖縄県民は米軍に恐怖心を持たなかったのか?「十・十空襲」で五百四十一トンの爆弾を投下され、那覇市の九割を焼け野原にされても、米軍上陸前七日間の「鉄の暴風」で大型砲弾一万三千発以上、小型砲弾を含め五千百六十二トンもの砲弾を撃ち込まれても、日本軍さえいなければ米軍は人道的だと思ったのか?
 昭和十二年、日本人居留民が中国人の保安隊に虐殺された「通州事件」の大報道以来、他国軍に侵入されると民間人も惨殺されるという恐怖心は、当時の日本人には一般常識としてあった。その意識は沖縄戦のはるか前から、日本軍ではなくマスコミによって作られていたのだ。だからサイパンでも樺太でも「軍命なしで」集団自決はあった。沖縄でも同じである。そしてその恐怖心は決して思い過ごしではなかった。満州に侵攻したソ連兵の日本人への暴行は熾烈(しれつ)を極めたし、沖縄でも米兵による暴虐事件は相当数あった。
 誤解のないよう強調しておくが、わしは日本軍が無謬(むびゅう)だったとは言わない。民間人を戦闘に巻き込む南部撤退という重大な作戦ミスを犯し、その結果敗残兵による壕追い出し、スパイ視殺害などが起きた。これを軍の責任ではないと言う者が本土にはいるが、そういう論者とわしは対立している。伊江島の取材中、わしは老婦人から「防衛隊の人たちは頼まれたら何人でも子供を殺していた」という話を聞いた。防衛隊が悪いのではなく、よっぽど切羽詰った状況だったのだろう。
 集団自決は大変な悲劇であり、今も多くの方々が心の傷を抱えておられることは充分承知している。だが知らねばならぬことは真の原因であって、教科書記述なんかどうでもいい。
 沖縄には徴兵など軍の事務を行う機関しかなく、第三十二軍司令官が沖縄入りしたのが沖縄戦の約一年前。しかも当初は「三等軍」と言われるほど兵力不足で司令官もすぐ交代、やっと戦力が揃ったと思ったら最精鋭部隊を抽出されて作戦全面見直しと、戦う体制を整えるだけで汲々とする有様で、住民統制に特別手間をかけられる状態ではなかった。そんな日本軍がどうやって沖縄県民を軍命一つで集団自決に追い込むほどの「全面的な統制下」に置いたと目取真氏は言うのか?沖縄県民がそんなに簡単に操縦できたのか?
 言っておくがわしは、確実な証拠が出たら軍命説でも構わない。しかし当時の沖縄県民が主体性なき民だということになるのが解せないのだ。

(漫画家)

これが小林よしのりの集団自決論のすべてであると言うつもりは勿論ないが、しかし小林よしのりの集団自決論の大筋の論理はここに展開されている論理で掴めるのではないかと、僕は思うが、もしそうだとすれば、小林よしのりの集団自決論の誤謬と欺瞞は、すてにここに明らかに露呈していると思う。たとえば、結末部で、小林よしのりは、「言っておくがわしは、確実な証拠が出たら軍命説でも構わない」と書いているわけだが、ここから明らかなことは、小林よしのりが議論の論理的前提として「軍名命令はあった……」論と「軍命令はなかった……」論の二元論的図式を定立し、その二元論的図式の中で議論しようとしていることであり、しかも、言うまでもなく小林よしのりがここで「軍命令はなかった……」論の立場に立っていることも明らかなわけだが、その自分の立場を有利に展開するために、「確実な証拠が出たら軍命説でも構わない」と言っていることかもわかるように、「確実な証拠」としての「軍命令」が発見されなければ、「軍命令はなかった……」論が論争に勝つと、論理的手続きも無視・黙殺して、無理矢理にというか、滅茶苦茶にと言うか、強引に論理化、体系化していることである。すでに僕は、「琉球新報」の連載エッセイでも書いておいたが、「確実な証拠が出たら軍命説でも構わない。」という言い方の論理構造が実に曽野綾子の言い方の論理構造にそっくりそのまま同じなわけで、実はここに曽野綾子小林よしのりの欺瞞的、詐欺的レトリックの問題は隠されているのだ。つまり、それは、二人が言う「確実な証拠」とはいったい何か、という問題なのであり、その「確実な証拠」と言う時の「確実」な「証拠」の論理性と実証性の根拠とでもいうべき問題なのだ。ここで誤解を恐れずに言わしてもらうが、曽野綾子小林よしのりが大見得を切って断言する「確実な証拠が出たら……」という時の「確実な証拠」とは、驚くべきことだが、いわゆる「軍命令書」のことであり、要するに軍が正式に文書化した「公式文書」のことなのである。むろん、そんな軍命令を記録した公式文書が発見される確立は極めて低いことは誰にだってわかっているわけで、そのことを知っているが故に、つまり「軍命令はあった……」論が成立するはずがないとタカをくくっているが故に、小林よしのり曽野綾子も大見得を切っているわけなのだ。ここに論理的な詐欺が、そしてレトリックの欺瞞があることは言うまでもない。そもそも、住民処刑事件の際、軍法会議もなく、もちろん裁判もなく、隊長の一存で、しかもその時の気分次第で斬首や銃殺を繰り返していたような軍や現地部隊が、そんな公式文書など残すはずがないのであり、そんなものが残っていたとすれば、米軍投降の前に、血眼になつて探し出し、全部焼却処分にしておくに決まっているだろう。というわけで、小林よしのりも、他の保守派論客やネット右翼の連中と同じように、議論の論理的前提として「軍名命令はあった……」論と「軍命令はなかった……」論の二元論的図式を勝手に定立し、その二元論的図式の中で議論し、公式の軍命令書が発見されない限り、「軍命令はなかった……」論が論争に勝つという欺瞞的、詐欺的な戦略を議論や論争の前提にしているのである。だから、僕は、以前から、「軍名命令はあった……」論にも「軍命令はなかった……」論にも、むろん「軍命令はあったか、なかったか」論にも、興味はないと言って来たのである。「軍命令はあったか、なかったか」論に問題を収斂していくことは、彼等の戦略であり、彼等の願望だろうが、そんな二者択一の問題構成そのものを認めないという人が、たとえば僕のような人がいても少しもおかしくないだろう。そもそも何を持って「軍命」と呼ぶのか。口頭での命令か、それとも文書による命令なのか。「軍命令はあったか、なかったか」という二者択一的な前提論が、集団自決をめぐる議論や論争の共通の前提的了解事項として常に成り立つというわけはないし、成り立たなければならないというわけもないのだ。その種の前提的了解が確認され議論や論争が成り立ったところで、それはその時のその場の論争や議論に参加している当事者達の中での了解事項に過ぎない。議論の前提そのものを認めないという人が、これからも続々と出てくるだろう。それでは、この論争や議論に終わりも決着もないではないか、と言う人もいるかもしれないが、しかし、論争や議論と言うものは、元々そういうものなのだ。小林よしのりが描くようなマンガの世界ならそういうことはなく、見事に回答が発見され、議論に決着がつくこともあるかもしれないが、マンガ以外の世界の議論や論争には、そんなに簡単な決着や結論が出るはずがないのである。言うまでもなく、この集団自決問題の本質は、ここに集団自決で死んだ人間が多数おり、その周辺に日本軍兵士や、あるいは沖から上陸してきた米軍兵士がいたという現実、そして集団自決は日本軍の命令で行われたという話と証言が早い段階から現地住民の間で定着していたという現実等、様々な現実が複雑に絡み合いつつ歴史的現実として存在しているだけなのである。さて、以上は議論の前提である。次に、小林よしのりの集団自決論の核心部分の「主体性」と「同調圧力」について見てみよう。小林よしのりは、目取真俊批判の中に、こんなことを書いているが、ここに小林よしのりの子供騙しの幼稚な論理とレトリツクがその思想的な弱点と論理的な欠陥をさらけ出しているが、その弱点と欠陥が僕にはよく見える。

 目取真氏は「戦時下の沖縄住民は日本軍の全面的な統制下で暮らし、行動していた」という心理状態にあったから、軍命に逆らえなかったと主張する。だが軍命一つで家族が命を奪い合う「全面的な統制」なんて、どうすりゃできるのだ?わしには当時の沖縄県民がそこまで主体性を喪失していたとはどうしても思えない。沖縄県民の家族への愛情は健全であった。そして地域の絆の深さは特に強固だった。だからこそ共同体の「同調圧力」は強かったはずだ。一人が死のうと言い出せば、逆らえぬ空気が生まれる、これが「同調圧力」だ。
 集団自決でもそのような空気が支配したのではないかと思うのだ。中には「軍命」と嘘をついてでも煽動した者もいただろう。目取真氏は実例を示せと言うが、「軍命と聞いた」という証言はたくさんある。一例を挙げれば座間味島では役場職員が「玉砕命令が下った」と住民を集めている。だが軍命はなかったと実証されているのだ。しかも人々は晴れ着姿で集まったという。なぜ晴れ着で?それは「立派に死のう」という主体的「意思」ではないか?

小林よしのりは、ここで、「軍命令」に対しては、住民はそれに逆らってでも生き延びようとすれば出来たはずだと、住民に「主体性」を要求し、「地域共同体の強い絆」に対しては、それには逆らえなかったであろうという住民相互間の「同調圧力」を要求しているが、これは完全な二十基準、二枚舌の論理であって、詭弁もいいところだろう。小林よしのりは、現地住民の主体性と同調圧力を巧妙に使い分けることによって、住民は住民同士の間に形成されていた共同体の「同調圧力」によって集団自決に追い込められたのであって、軍の命令と言うような共同体の外部からの強制や命令によって集団自決に追い込められたのではないはずだ、つまり自分達の主体的判断と決意の元に、つまり自分達の意思で集団自決したのであり 、したがってわざわざ晴れ着を着て「名誉ある死」を死んで行ったのである、と言いたいらしいのだ。つまり、集団自決は、住民の自由意志にによる「覚悟の自決」であり、それは一種の美しい「尊厳死」であり、要するに集団自決も、「立派に死のう」という主体的「意思」による「殉国美談」だったと言うわけだが、この論理も、いかにも小林よしのりらしい、マンガチックで、サルにでもわかるような単純素朴な論理なのであって、その破綻と矛盾もわかりやすいと言わなければなるまい。たとえば小林よしのりは、ここで、住民は、軍に集団自決を命令されたのであれば、それに逆らってでも家族と共に生きる道を選ぶべきだった、たとえ軍に逆らったために殺されたてしても、集団自決するよりはマシだろう、そしてそれは可能だったはずだと、沖縄県民にはそんな主体性もないのか、と言いたいようだが、同じようなことを曽野綾子が、『ある神話の背景』で、古波蔵村長について、「殺されてもいいから軍の命令に反抗すべきだった……」と言っていることを思い出して、小林よしのりの論理構成が曽野綾子のそれと瓜二つであることを改めて実感した。小林よしのりは、集団自決が起きた当時の島の支配関係と軍による管理統制の実態がまったくわかっていない。まるで住民が自由に行動し自由に判断し、そして主体的に人生を選択できるような開かれた社会であったかのように思い描いているようだが、それこそ小林よしのりの無知と無学を象徴するようなマンガ的な与太話であって、それが、当時の島の実態とはかけ離れたマンガ的空想の産物であることは、今さら言うまでもないことだろう。もし、軍の命令に反逆するだけの主体性があったとすれば、地域共同体の空気が作り出している「同調圧力」にだつて、簡単に逆らえたはずではないか。何故、軍の命令には反抗できるのに、地域共同体の同調圧力には逆らえなかったと結論付けることが出来るのか。それは、小林よしのりが、あくまでも集団自決は、住民の自由意志による「殉国美談」である、という論理を暗黙の前提にしているからではないのか。

(続く)



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■参考資料
上の小林よしのりのテキストは、目取真俊の以下の文章への反論として書かれたものであるから、その原文も参考のために、こちらも引用しておく。

2007年11月03日

<風流無談>目取真俊/事実ねじ曲げる小林氏/「軍命」否定に家族愛利用

 漫画家の小林よしのり氏が雑誌「SAPIO」(小学館発行)十一月十四日号の「ゴーマニズム宣言」で「集団自決の真相を教えよう」という漫画を書いている。現在の沖縄を「全体主義の島」呼ばわりし、9・29県民大会の意義を否定するのに必死になっている。事実をねじ曲げる手法と内容のひどさには呆れるが、小林氏がどういう人物かを知るうえでは格好の素材かもしれない。
 小林氏は「集団自決」は「軍命」ではなく、〈家族への愛情が強すぎるから、いっそみんなで死にたいと願ってしまった〉が故に起こったのだと主張し、次のように書く。
〈そもそも「軍命」があったからこそ親が子を殺したとか、家族が殺し合ったなどいう話は、死者に対する冒涜(ぼうとく)である。そんな「軍命」は非道だと思うなら、親は子を抱いて逃げればいいではないか!自ら子供を殺すよりは、「軍命」に背いて軍に殺される方がましではないか!〉
〈明日にも敵が上陸するという状況下では、島の住民に集団ヒステリーを起こさせるに十分な緊張が漲(みなぎ)っていた。しかも本土よりも沖縄の方が、村の共同体の紐帯(ちゅうたい)ははるかに強い。そのように強い共同体の中には「同調圧力」が極限まで高まる。だれかが「全員ここで自決すべきだ!」と叫べば、反対しにくい空気が生まれる。躊躇(ちゅうちょ)する住民がいれば、煽動(せんどう)するものは「これは軍命令だ!」と嘘(うそ)をついてでも後押しする〉
〈ひょっとして沖縄出身の兵隊が「敵に惨殺されるよりは、いっそこれで」と、手榴弾を渡したかもしれない。だがこれは、あくまで「善意から出た関与」である〉
 小林氏の主張は、「集団自決」は沖縄の住民が「家族への愛情」から自発的に行ったものであり、仮に手榴弾を渡すという軍の「関与」があったとしても、「沖縄出身の兵隊」や「防衛隊員」の「善意から出た関与」で、沖縄出身以外の兵隊は「関与」していないというものだ。そして、「軍命令」は共同体(村)の中の煽動者が住民を「集団自決」に追い込むためについた「嘘」なのだという。
 「集団自決」(強制集団死)によって肉親を喪った人たちは、戦後六十二年の間どのような思いで生きてきたか。その苦しみは第三者には理解不可能かもしれない。だが、それでも理解しようという努力はし続けなければならない。「集団自決」の問題について考えるとき、それはけっして忘れてならない基本的なことではないか。その姿勢があれば、〈そんな「軍命」は非道だと思うなら、親は子を抱いて逃げればいいではないか!〉という言葉は出てこないだろう。
 米軍に残酷なかたちで殺されるよりは自分の手で殺した方がいい。そう思った親がいたとしても、問題はどうしてそのような心理状態に追いつめられていったかである。戦時下の沖縄住民は日本軍の全面的な統制下で暮らし、行動していた。そういう軍と住民の関係を切り離したうえで、あたかも「軍命」に逆らって逃げようと思えば逃げられたかのような書きぶりで、小林氏は問題はすべて住民の側にあったかのように描き出す。
 そもそも「集団自決」の原因を「軍命」か「家族への愛情」かと二者択一の問題として設定すること自体がおかしい。慶良間諸島伊江島読谷村など「集団自決」で多くの犠牲者が出た地域は、日本軍の特攻基地や飛行場などの重要施設があり、住民がその建設に動員され、日本軍と住民の密接な関係が築かれていた所だ。日本軍のいなかった島では「集団自決」が起こっていないことを見ても、「家族への愛情」だけでそれが起こりえないのは明らかだ。小林氏はそういう事実には触れずに、「軍命」否定のために「家族への愛情」を利用しているのである。それこそ「死者への冒涜」であり、生き残った人たちをさらに精神的に追いつめるものではないのか。
 小林氏は、日本軍が住民に米軍への恐怖心を吹き込んだことや、「戦陣訓」の影響があったことを曖昧(あいまい)にしたうえで、あろうことか住民の中に煽動者がいて「これは軍命令だ!」と嘘をつき「集団自決」に追い込んだと主張する。これほどひどい暴論はない。いったいどこの事例にそういう事実があるというのか。小林氏は具体的に示すべきだ。
 「沖縄出身の兵隊」が住民に手榴弾を配ったと強調するのも、沖縄人同士が勝手に殺しあった、と印象づけるための恣意(しい)的な描き方である。手榴弾などの武器は軍の組織的管理下にあり、軍の方針や隊長の命令に背いて兵隊が勝手に持ち出し、住民に渡して「自決」を促せるものではない。そのことを押し隠し、「沖縄出身の兵隊」や「防衛隊員」に責任をなすりつけるのは卑劣としか言いようがない。
 他にも問題は多々あるが紙幅が尽きた。それにしても、久し振りに沖縄について小林氏が書くくらい9・29県民大会は衝撃的だったのだろう。
 小林氏とは逆に、大会に励まされた人が全国に多数いることを押さえたい。

(小説家)

(続く)



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