自決か玉砕か……「梅澤裕『詫び状』事件」のてんまつ……生き恥を晒す元帝国軍人・梅澤裕は、何故、「詫び状」を必要としたのか?
なんだ、発信元はまた統一教会新聞「世界日報」と「チャンネル桜」の井戸端会議かよ……なんてのは冗談だが、誤字・誤読という前代未聞の大失態を指摘されているにもかかわらず、一切を無視・黙殺して沈黙を決め込んでいる曽野綾子に象徴されるように、昨今の保守論壇の思想的劣化とその地盤沈下には目を見張らせるものがあるが、それについては何回も書いたので繰り返さないが、またまた、「沖縄集団自決」をめぐって、わずか二、三泊の現地調査で発掘したとかいう新資料「宮平秀幸証言」なるものを持ち出して、保守論壇に棲息する一部のサルどもが、新聞や雑誌、テレビ、その他のメディアを総動員して「大騒ぎ」しているようであるが、これも、はっきり言っていつものように、頭隠して尻隠さずというか、手の内が見え過ぎるというか、保守論壇の恥晒しというか、要するに「羊頭狗肉」の猿芝居でしかない。そもそも集団自決の生き残りで証言者として注目され続けてきた「宮城初枝の実弟」として、あるいは地元の「民宿」のオヤジとして、事件の二次的な周辺情報や伝聞情報に精通しているはずの宮平秀幸なる人物に証言資格と証言能力があるのかどうか、に大きな疑問があるはずだが、そんなことはお構いなしに、例によって文献批判も資料批判もおざなりのまま、まさしく「鬼の首でも取ったかのように……」、笛や太鼓を打ち鳴らして、「ユーレカ(我、発見セリ!!!)」と、はしゃいでいる図は、きわめて滑稽である。とても思想や学問にかかわる人間のすることとは思えない。まさしくおばさん保守の井戸端会議以下、いやサル以下の猿芝居である。馬鹿も休み休み言って欲しいものだが、宮平秀幸なる人物は、「宮城初枝の実弟」として、伝聞情報やマスコミ情報をたっぷり仕込んでいるはずであり、何処からが自分の目撃談で何処から何処までが伝聞情報かの見境もつかなくなっているはずであって、しかも地元の民宿のオヤジとして何回も何回も同じ話を繰り返してきたからこそ、「立て板に水の如くしゃべれる……」のであって、良く考えてみればわかるように、だからこそ、信用できないという可能性も否定できないのである。というわけで、早速、新証言者・宮平秀幸に関しては、すでに毎日新聞の取材に対しても証言したという過去があることが暴露されてしまったわけだが、しかもその毎日の記事には「戦争悲劇の語り部」として紹介され、「村長らは『軍の足手まといや捕虜になるより住民一同自決したい。爆弾か手榴弾を』と要求したが、『弾丸一発でも敵を倒すためにある。住民に渡すことはできぬ』と梅沢少佐はきっぱり断った。」と証言しているわけだが、この証言内容が、「諸君」四月号の証言内容になると、次のように変化する……。
「『俺の言うことが聞けないのか! よく聞けよ。我々は国土を守り、国民の生命財産を守るための軍隊であって、住民を自決させるためにここへ来たのではない! 自決するな! 武器弾薬や毒薬など渡すことはできない』」
梅澤発言の内容が微妙に異なっていることがわかるが、このズレが何を意味しているかを考えてみることは、なかなかスリル満点の読物だろうが、実は宮平秀幸には、他にも「小説新潮」のルポルタージュにも登場しているという前歴があるらしいから、これからが楽しみである。いずれにしろ、戦後的価値観である「我々は国土を守り、国民の生命財産を守るための軍隊であって……」なんて、梅澤が言うはずないのだ。曽野綾子も言っているように、戦前の帝国軍隊は、「国」や「国体」を守る戦闘部隊であって、「国民の生命財産」なんぞを護るための軍隊ではなかったのである。むろん、梅澤裕自身も、そんなことを発言したとは言っていないわけで、梅澤裕は裁判所に提出した陳述書でも、
「私は五人に、毅然として答えました。
1、決して自決するでない。軍は陸戦の止むなきに至った。我々は持久戦により持ちこたえる。村民も壕を掘り食糧を運んであるではないか。壕や勝手知った山林で生き延びて下さい。共に頑張りましょう。
2、弾薬、爆薬は渡せない。
折しも、艦砲射撃が再開し、忠魂碑近くに落下したので、五人は帰って行きました。 」
と書いているだけなのだ。「我々は国土を守り、国民の生命財産を守るための軍隊であって……」なんて証言には、梅澤裕もビックリ仰天し、そしてこりゃ、まずい……と思ったことだろう。この場面での梅澤裕発言については、前述の宮城初枝は、生き残った唯一の確実な現場証人として、梅澤裕は、この時、「毅然として答えた……」なんてのは大嘘で、実は「今晩は一応お帰りください。お帰りください」と小さな声でボソボソと言っただけだ、と証言している。『母の遺したもの』から、この前後の様子について……。
それからまもなくして、隊長が出て来られたのです。助役は隊長に、
「もはや最期の時が来ました。私たちも精根をつくして軍に協力致します。それで若者たちは軍に協力させ、老人と子供たちは軍の足手まといにならぬよう、忠魂碑の前で玉砕させようと思いますので弾薬をください」
と申し出ました。
私はこれを聞いた時、ほんとに息もつまらんばかりに驚きました。重苦しい沈黙がしばらく続きました。隊長もまた片ひざを立て、垂直に立てた軍刀で体を支えるかのように、つかの部分に手を組んでアゴをのせたまま、じーっと目を閉じたっきりでした。
私の心が、千々に乱れるのがわかります。明朝、敵が上陸すると、やはり女性は弄ばれたうえで殺されるのかと、私は、最悪の事態を考え、動揺する心を鎮める事ができません。やがて沈黙は破れました。
隊長は沈痛な面持ちで
「今晩は一応お帰りください。お帰りください」
と、私たちの申し出を断ったのです。私たちもしかたなくそこを引きあげて来ました。
ここで宮城初枝が「自決」という言葉を使わずに「玉砕」という言葉を使っていることに注目していただきたい。実は、この場面では「自決」という言葉は使われていないはずなのである。というのは、前にも書いたように、「自決」とか「集団自決」という言葉は、『鉄の暴風』の筆者・太田良博が沖縄戦史として「集団自決事件」を書く時に、初めて一種の「造語」として使った言葉なので、この場面で「自決」という言葉が飛びかはずがないのである。ともあれ、どれが真実でどれが大嘘かを、僕はここで判定するつもりはないが、冷静に読み比べていけば、誰と誰が大嘘をついているかは自然に分かってくるだろう。さて、座間味島の守備隊長だった梅澤裕が、当時の座間味島の助役であった宮里盛秀の弟・宮村幸延(宮里幸延)に、実はこの弟は、事件当時、福岡方面に出征していて座間味島にいたわけではないので目撃者や体験者としての証言資格はないのだが、さんざん酒を飲ませた挙句、酔っ払った頃を見計らって、早朝に押しかけ、「決して迷惑は掛けない」「他人には公表しない」と大嘘をついて、強引に「詫び状」なるものを書かせ、それを手にいれるや小躍りしつつ一目散に島を離れ、やがてその「詫び状」を、宮里盛秀の弟・宮村幸延(宮里幸延)との「男の約束」なんかあっさり無視して、勝手に裁判所に裁判資料として提出、特攻隊隊長とは言いながら多数の部下や住民を見殺しにして、自分だけはおめおめと生きながらえて米軍に投降し、生き恥を晒しつつ帰還するという、誰が考えても見苦しい、恥多き軍人生活を送りながらも、今度は軍人としての「名誉回復」を試みる……という、いわゆる「梅澤裕『詫び状』事件」なるものの「てんまつ」について考えてみよう。(続)