文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

佐藤優「大宅賞」を祝う会…。

(写真は左から山崎、佐藤、南丘)

昨夜、神楽坂の「出版倶楽部」で、佐藤優さんの「大宅賞」受賞を祝う会があり、出席して来た。佐藤優さんを担当する各出版社の編集者が中心のパーティだったらしく、いわゆる「モノ書き」サイドの人間は非常に少なかった。僕の知っているのは潮匡人さんぐらいだった。しかも編集者も文芸関係ではなく、いわゆる論壇系というか、政治ジャーナリズム系が主体なのでほとんど知らない人ばかり…。わずかに知っているのは、かつて「新潮」編集部員で、現在は「新潮45」編集長の中瀬さんぐらい。久しぶりなので、かつての「美少女風ヤンチャ娘」から、今ややり手の「女社長風」の「猛女」に変身してしまった中瀬女史に、「覚えてる?」と話しかけたら、「もちろん覚えてますよ!」という返事…。ホッと安心して昔話…。そういえば、中瀬さんが行って見たいということで、福田和也等と新宿二丁目の「オカマバー」に行った事もあったなあ…。今や、出版ジャーナリズムやテレビ等の世界で、「飛ぶ鳥を勢い」の中瀬女史と何やら親しげに話が出来る僕って、ちょっとスゴイでしょう、というわけで、ついでに我が「月刊日本」の南丘喜八郎主幹を紹介したら、どういう話の展開からそうなったのか知らないが、南丘さん曰く…「和歌山に美人はいない…、和歌山の女は身持ちが悪い…、と、お袋がいつも話していた…」と、例の南丘節で、まくしたてている。実は二人とも和歌山の出身なので、僕が、「中瀬さんも和歌山出身ですよ。」と横から口を挟んだら、南丘さん、「やっぱり」だって。おいおい。どういう意味なんですか、それ? 「美少女」の面影を未だに残している中瀬さんは、笑いながら聞いていたが…(笑)。というわけで、後が怖いなーと思う今日この頃なのだ。ところで、佐藤優さんは、長い挨拶をしたが、その中で、「編集者に苦言を呈する」と前置きしつつ、編集出版の姿勢を問うようないくつかの重大な問題提起をしていた。その一つ、高畠素之の「資本論」の翻訳作業にまつわるエピソードについて話した後で、近々、その高畠の「資本論」が新潮社から復刊の予定だと語っていたのが印象的だった。時流に流れやすい論壇ジャーナリズムの中に、マルクス論やキリスト論、あるいは天皇制論、「神皇正統記」論、大川周明論等、いわゆる哲学的、原理論的な問題と思考を強引に持ちこんで、普通なら無視されるところだが、佐藤優の場合は無視されるどころか逆に、一躍脚光を浴び、今や「出版会の救世主」とまで言われているらしい佐藤優らしい話である。この夜の挨拶でも、延々とマルクス論を展開していたが、ポスト・モダン以後の「大きな物語」の解体と「小さな物語」の隆盛を前提にしつつも、敢えて「大きな物語に挑戦せよ」と佐藤さんは編集者たちに呼びかけていた。まったく同感である。チマチマした学校秀才、学歴自慢の軽薄才子ばかりがはびこるのは論壇だけでなく文壇も同じだが、今、「佐藤優」が「出版界の救世主」として脚光浴びているのは、佐藤優が、そういう地位と肩書きにしか関心のない、チマチマした「物知り自慢」のポストモダン的な学校秀才を蹴散らして、強引に「大きな物語」に、つまり佐藤優的に言えば「啓蒙」的なものと「自伝的・教養小説」的なものに挑戦しようとしているからだろう。佐藤は、今、10本か20本の連載を持っているらしいが、そのことに関連して、「僕の体調のことを心配してくれる人がいますが余計なお世話。そんなことは心配無用、別のことを心配してください。」と笑わせていた。さて、最後に例の「小谷野敦」について。僕が、パーティの途中で挨拶しようとして近づいて行ったら、僕に対する佐藤さんの第一声は、「山崎さん、小谷野敦は、僕はいいと思うんですよ。彼には私というものがありますよ。」だった。佐藤優は、やはりタダモノではない。論敵の中にも、見るべきものはちゃんと見ているのだ。


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