文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西尾幹二の「安倍罵倒コラム」を読め!!!!

昨日は、都内某大学の「エッセイ研究」の時間に、西尾幹二先生の産経新聞「正論」のコラムをコピーして手渡し、これをテキストとして自由に感想を書いてもらった。むろん、ほとんどが安部を批判罵倒する感想文ばかりだった。安部を擁護するものは一人もいなかった。おそらく、これが小泉なら、半分半分だったかもしれない。安部を擁護したり賛美したりする学生が一人もいないということは、やはり安部という政治家の根本的な欠陥を、つまり政治家としての資質と能力を、あまり政治に関心のない若者たちでさえ、テレビ映像などから直感して、疑問視しているということだろう。むろん、全員が安部に対して批判的だったということは、その前に僕が延々と安部批判を繰り返しつつ、西尾幹二の思想的現在について語ったからという理由もあるかもしれないが、しかし僕は、いつも思想的立場や政治的主張は自由であり、そのことを理由にして学生の書くエッセイの良し悪しを判定することはない、したがって自分の考えや感想を、あるいは政治的主張を思い切りよく、大胆且つ過激に書いてほしいと、初めにお願いしているので、学生たちが僕の「安部批判演説」に迎合したということでもないだろう。いつもなら、僕の主張に反論する学生も少なくないからだ。昨日の場合は、むしろ、西尾幹二先生の文章に説得されたと言っていいのかもしれない。正確なところはわからないが、多くの日本人が、安部首相の「変節漢ぶり」に対して、西尾幹二先生が感じているように、「アレー?????」と思っていることは間違いない。いずれにしろ、「つくる会騒動」の中心人部として批判の矢面に立たされ、保守論壇からも追放寸前の状況に追い詰められていたからだ。一貫して、西尾幹二の言論活動と思想を支持し、支援してきた者としては、西尾先生の保守論壇での復活は喜ばしいかぎりだ。「正論」や「諸君!」も、「西尾幹二復活」で、いずれ誌面は大幅に刷新されるだろう。保守論壇保守系メディアには、「ブログ」や「2ちゃんねる」の書き込みにも遠く及ばないような、小市民的な左翼市民運動ならぬ、いわゆる右翼市民運動的なアジビラみたいな書き物が満載だが、こういう幼稚・稚拙な底の浅い金太郎飴的な「大論文」(笑)は日本の恥であり、紙の無駄遣いだから、早く淘汰されてしかるべきだろう。西尾論文が、そのきっかけとなることを期待したい。そして左翼・右翼、あるいは保守・革新入り乱れての活発な言論空間・論壇空間が再構築されることを願う。

2007/04/27 産経新聞4/27

【正論】西尾幹二 慰安婦問題謝罪は安倍政権に致命傷



 ■保守の本当の声結集する政権を待つ ≪そらされている熱い感情≫ 

 私は冗談のつもりではなかった。けれども人は冗談と取った。話はこうである。
 月刊誌「WiLL」編集部の人に2カ月ほど前、私は加藤紘一氏か山崎拓氏か、せめて福田康夫氏かが内閣総理大臣だったらよかったのに、と言ったら「先生冗談でしょ」と相手にされなかった。今までの私の考え方からすればあり得ない話と思われたからだが、私は本気だった。
 安倍晋三氏は村山談話河野談話を踏襲し、東京裁判での祖父の戦争責任を謝り、自らの靖国参拝をはぐらかし、核と拉致で米国にはしごをはずされたのにブッシュ大統領に抗議の声ひとつ上げられず、皇室問題も忘れたみたいで、中国とは事前密約ができていたような見えすいた大芝居が打たれている。これらが加藤、山崎、福田3氏の誰かがやったのであれば、日本国内の保守の声は一つにまとまり、非難の大合唱となったであろう。
 3氏のようなリベラル派が保守の感情を抑えにかかればかえって火がつく。国家主義者の仮面を被った人であったからこそ、ここ10年高まってきた日本のナショナリズムの感情を押し殺せた。安倍氏が総理の座についてからまぎれもなく歴史教科書(慰安婦、南京)、靖国、拉致の問題で集中した熱い感情は足踏みし、そらされている。安倍氏の登場が保守つぶしの巧妙な目くらましとなっているからである。


 ≪「保守の星」安倍氏の誤算≫
 米中握手の時代に入り、資本の論理が優先し、何者かが背後で日本の政治を操っているのではないか。
 首相になる前の靖国4月参拝も、なってからの河野談話の踏襲も、米中両国の顔色を見た計画的行動で、うかつでも失言でもない。しかるに保守言論界から明確な批判の声は上がらなかった。「保守の星」安倍氏であるがゆえに、期待が裏切られても「7月参院選が過ぎれば本格政権になる」「今は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)だ」といい、米議会でのホンダ議員による慰安婦謝罪決議案が出て、安倍氏が迷走し、取り返しのつかない失態を演じているのに「次の人がいない」「官邸のスタッフが無能なせいだ」とかわいい坊やを守るようにひたすら庇(かば)うのも、ブレーンと称する保守言論界が政権べったりで、言論人として精神が独立していないからである。
 考えてもみてほしい。首相の開口一番の河野談話踏襲は得意の計画発言だったが、国内はだませても、中国サイドはしっかり見ていて安倍くみしやすしと判断し、米議会利用のホンダ決議案へとつながった。安倍氏の誤算である。しかも米国マスコミに火がついての追撃は誤算を超えて、国難ですらある。
 最初に首相のなすべきは「日本軍が20万人の女性に性奴隷を強要した事実はない」と明確に、後からつけ入れられる余地のない言葉で宣言し、河野衆議院議長更迭へ動き出すことであった。
 しかるに「狭義の強制と広義の強制の区別」というような、再び国内向けにしか通じない用語を用い、「米議会で決議がなされても謝罪はしない」などと強がったかと思うと、翌日には「謝罪」の意を表明するなど、オドオド右顧左眄(さべん)する姿勢は国民としては見るに耐えられなかった。
 そしてついに訪米前の4月21日に米誌「ニューズウィーク」のインタビューに答えて、首相は河野談話よりむしろはっきり軍の関与を含め日本に強制した責任があった、と後戻りできない謝罪発言まで公言した。


 ≪通じない「事なかれ主義」≫
 とりあえず頭を下げておけば何とかなるという日本的な事なかれ主義はもう国際社会で通らないことをこの「保守の星」が知らなかったというのだろうか。総理公認であるからには、今後、元慰安婦の賠償訴訟、過去のレイプ・センターの犯人訴追を求める狂気じみた国連のマクドゥーガル報告(1998年8月採択)に対しても反論できなくなっただけでなく、首相退陣後にもとてつもない災難がこの国に降りかかるであろう。
 米国は核と拉致で手のひらを返した。6カ国協議北朝鮮の勝利である。米中もまんざらではない。彼らの次の狙いは日本の永久非核化である。米国への一層の隷属である。経済、司法、教育の米国化は着々と進み、小泉政権以来、加速されている。安倍内閣は皇室を危うくした小泉内閣の直系である。自民党は真の保守政党ではすでにない。私は安倍政権で憲法改正をやってもらいたくない。不安だからである。保守の本当の声を結集できる胆力を持った首相の出現を待つ。(にしお かんじ=評論家)