文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■文壇にも論壇にも馬鹿が多過ぎる。

埴谷雄高を、今、論じることの意味。
「群像」五月号が埴谷雄高の特集を組んでいる。今、何故、埴谷雄高なのか。埴谷雄高こそは、常々、「存在」とか「存在論」とかいう言葉を多用した作家だった。私も、かねがね「イデオロギーから存在論へ」ということを強調・力説しているので、埴谷雄高的なテーマには関心がないわけではない。むしろおおいに関心があるのだが、しかしどちらかというと私は、埴谷雄高が苦手である。一般的には埴谷雄高が苦手という場合は、「難解だから…」と思われるかもしれないが、私が苦手だというのはそういう意味ではない。埴谷雄高の難解さは中途半端な難解さである、と思っているからだ。「明晰を求めて曖昧さの中に…」(小林秀雄)いるのではなく、最初から「曖昧さ」「複雑さ」を目指しているように見えるからだ。現に埴谷雄高は、『死霊』の序文で「曖昧化」「複雑化」「神秘化」を方法論として採用していると書いている。私が、埴谷雄高の難解さに違和感を持つのはそこに理由がある。埴谷雄高と言えば、間違いなく「近代文学」に連載されていた大長編の『死霊』ということになろう。この作品は、一時は未完のまま放置され、読むことも不可能な「幻の名作」として、特に左翼陣営の文学青年たちの間で偶像化され伝説化され神話化されていた。実は、私が埴谷雄高という存在にある種の「いかがわしさ」を感じ、埴谷雄高を避けた理由はそこにもあった。「偶像化」や「伝説化」「神話化」を批判し、排除することこそが文学や哲学や思想の根源的な役割だろうというのが、私の信念だったからだ。しかし、埴谷雄高が、続編を「群像」に書き、容易に『死霊』を読むことが出来るようになって、私が、当初感じていた「いかがわしさ」は消えた。たとえば、私は、日本的というよりも大陸的とも言うべき、埴谷雄高の「解決や解答を急がない粘り強い思考力」というものに感動した。やはりこの作品には何かがあると思った。しかし同時に歴史に残る特異な名作の一つであろうとは思ったが、文学青年たちが大騒ぎするほどのものでもないという感想も私は持つようになった。言い換えれば、埴谷雄高を偶像化し神話化する「埴谷雄高フアン」は埴谷的な強靭な思考力に負けた人たちであると思った。今回の「群像」の特集にもそれは反映している。論者たちは、埴谷雄高を論じる前に埴谷雄高という存在に負けている。この特集は、もっと面白いものになったはずだが、論者たちが埴谷雄高の心臓部や暗部に大胆に踏み込むことができていないが故に、最近の文芸誌がよくやるような、自社出版物の新刊紹介的なレヘ゛ルの特集に留まっている。たとえばこんな文章があった。≪埴谷雄高が1997年2月に世を去ってのち、彼の思想と作品世界が急速に忘れられて言った十年ーーそれはこの劣等社会において、新自由主義的ク゛ローハ゛リセ゛ーションの影響が日々あらわになり、同時に排外的ナショナリズムの新たな台頭・浸透が生じていった十年だった。たとえば彼の死と相前後して「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、出版物刊行・大衆集会開催・地方議会陳情などを活発に行ってゆく。1999年8月には君が代・日の丸が法制化され・・・(略)≫(鹿島徹「瞬間ごとの革命」)書いてあることに間違いはないが、いかにも薄っぺらである。埴谷雄高が忘れられようとしているとすれば、その理由はそんなわかり易い所にはないだろう。埴谷雄高が、平凡・凡庸な左翼小市民的なレベルの「人畜無害」の「阿呆な…」作家だったはずはない。私は、埴谷雄高フアンではないが、それでも埴谷雄高という文学者・思想家をそんなに見くびってはいない。埴谷雄高は、善と悪を超越した、ある場合にはテロや暴力や暗殺を肯定し擁護するような、そういうレヘ゛ルの、もっと恐ろしい作家だったはずである。
■今こそ、「埴谷雄高的なもの」を再評価せよ。
 私は、埴谷雄高が苦手だったと言っても、埴谷雄高が『死霊』等で展開する、現実の人間や存在は存在するものと存在しないものの両方によって成り立っていると言う「虚体」論や、私が私であることは不快であると言う「自同律の不快」、あるいは「社会革命」で達成されるものは表面的なもので、真の革命は「存在の革命」によってしか達成されないはずだから、必然的に終りのない「永久革命」が必要になると説く、いわゆる「社会革命から存在革命へと続く永久革命論」も、「不合理ゆえ吾信ず」というようなテーゼも、まったく理解出来ないというわけではない。むしろ、私はそういう存在論的思考に興味がある。それ故に、私は、今、埴谷雄高を特集する意味は小さくないと思う。というのは、まさしく現代という時代は、「埴谷雄高的なもの」が失われ、イデオロギー全盛の軽薄な思想状況にある時代だからだ。「埴谷雄高的なもの」とは、イデオロギーを超えてその先にあるもの、イデオロギーを超えてその根底にあるもの、いわゆる存在論的なものであるが、今はそれが、文壇からも論壇からも、そしてアカデミズムや政治・経済の世界からも失われつつある時代だからだ。文壇に限って言えば、それは、具体的に言い換えれば、「純文学からライト・ノベルへ」、むあるいは「芥川賞直木賞化」「純文学と大衆文学のボーダレス化」ということになるだろう。つまり「意味内容」中心のイデオロギーばかりが先行し、無意識のレベルにまでも思考の突き進めるような、いわゆる存在論的思考が失われつつある時代だからこそ、埴谷雄高を特集する意味は大きいのだ、と私は考える。しかし、この埴谷雄高特集の論者たちには、それがわかっていないように見える。わずかに、山城いずみの次の発言が目立つ程度だ。≪いささか乱暴に要約すれば、次のようなことが埴谷について言われてきた.。曰く、埴谷は治安維持法違反および不敬罪によって収監された豊多摩刑務所の中で『純粋理性批判』に出会った、それによれば、人間の思惟には先験的に或る形式が与えられており、その形式に従ってしはか考えられぬ以上、「自由」、「不死」、「神」はあるかという問いに答えようとすると、理性は「ある」と同時に「ない」という二律背反に陥らざるを得ない、云々。ところが、カントのこの論証は、、裏返せば、「異なった思惟形式」な場合には、「自由」「不死」「神」はあるかという問いには全く別の解が与えられるということを意味する、云々。(中略)非現実の虚構世界においてなら主人公をして「異なった思惟形式」に踏み出させることも不可能ではない、云々。では、踏み出せば、そこからは「自由」、「不死」、「神」を超えてどのような解が得られるか、いわば小説を手段にしてのこの「形而上学」の樹立こそが『死霊』の破天荒な試みなのだ、云々。我々はもうこの種の伝説から自由になるべきだろう。≫(「埴谷雄高『死霊』のクリティカル・ポイント」)山城いずみの言う通りだろう。埴谷雄高の「獄中のカント体験」による覚醒…なんて伝説は伝説に決まっている。その伝説を解体するところから埴谷雄高論は始めるべきなのだ。しかし、山城いずみも、埴谷雄高伝説を粗製濫造している三流の文藝評論家・川西政明の著書を大真面目に引用しているところを見ると、たいしたことはないと判断せざるをえない。やはり山城いずみも埴谷雄高の伝説や神話に負けているのだ。
保守論壇にも、馬鹿が多過ぎる。
  さて、ちょっと脇道にそれるが、私が本欄で何回も取り上げたことのある佐藤優について、彼を、ソ連留学時代の交遊関係を根拠に、「スパイ疑惑」を持ち出して批判・罵倒する「佐藤優論」が、「諸君!」五月号に掲載されている。柏原竜一という筆者の佐藤批判の論拠は、佐藤のモスクワ大学語学留学時代の交遊関係で、そこから即座に、「スパイ疑惑」や「ハニートラップ疑惑」を持ち出して来て、佐藤には「スハ゜イの疑い」がある、あるいは佐藤の左翼的体質は危険である、というような結論を導き出しているが、その思考経路の単純さ、思想分析の素朴さには愕然とするほかはない。まさしくイデオロギー的な、表層的な人間分析であり思想分析である。残念ながら、こういうレヘ゛ルの議論が蔓延しているのが現在の保守論壇である。佐藤の読書体験についても、とんでもないことを書いている。≪東京拘置所で512日もの拘留生活を送っていた間、どんな書物を読んでいたかによって彼の本来の姿を知ることが出来るのではないかと思う。何故なら、監獄のような極限状況に置かれた時にこそ、その人が真に読みたいと思う本やその人物の本当の志向性があらわれるからである。そこで『獄中記』(岩波書店)から、彼が獄中で読んだ書物をチェックしてみた。≫そこでリストアップされたのが、浅田彰『構造と力』、柄谷行人『戦前の思考』『ユーモアとしての唯物論』『マルクスその可能性の中心』、宇野弘蔵広松渉、ユルゲン・ハーバーマースの著作、それに『スターリン全集』、マルクスドイツ・イデオロギー』、『毛沢東選集』、ジョルジ・ルカーチ『歴史と階級意識』、レーニン帝国主義』……であったと言う。そして、ここから、柏崎は、≪彼の中に共産主義思想に深く共鳴する部分があることは間違いないであろう。≫と、推理にもならないような幼稚な推理を披露する(笑)。普通、人は、その読んだ本の種類だけから安直にその人の思想傾向を判断するだろうか。確かにヒントにはなるだろうが、決定的な証拠にはならないだろう。ましてや、佐藤がここで公開している読んだ本のリストは、現代の日本人なら誰でもが気軽に読んでいるような本だろう。むしろ左翼であろうと右翼であろうと一度は読むべき本だろう。柏崎は、これらの本は危険だから読むな…とでも言いたいのだろうか。北朝鮮なみの言論・思想統制でもしない限り、それは無理だろう。そんなことを柏原は望んでいるのか。たとえば小林秀雄は、日本の近代の保守思想は、マルクス主義との対決・論争の中からマルクス主義に「対抗するもの」として事後的に生まれて来たと分析している。そもそも「批評家小林秀雄の誕生」という文学史的な事件そのものが、マルクス主義プロレタリア文学全盛の時代であった昭和4年に起こったことであり、その後の小林秀雄を文壇のスターに押し上げたものは、小林秀雄の激しいマルクス主義批判だったのである。これは、言い換えれば、小林秀雄が、この頃、マルクスマルクス主義関係の本を熟読したということだろう。これに関連してこの頃の小林秀雄は左翼だった、と言う人がいるだろうか。むしろ、小林秀雄を、他の多くの凡庸な保守主義的、芸術主義的な作家や批評家から分かつものは、この「マルクス体験」にあると言うべきだろう。小林秀雄の批評は、左翼や右翼、あるいは保守や革新というイデオロギー的対立を超えたところで、つまり存在論的なレヘ゛ルで成り立っている。だからこそ、小林秀雄の批評は左翼にも読まれるのである。おそらく埴谷雄高も同じだろう。左であれ右であれ、いいものはいいのであり、悪いものは悪いのである。最後に中沢新一の「映画としての宗教」(「群像」)を紹介しようと思っていたのだが紙数が尽きた。実は中沢も、この論の中で、宗教と映画のイメージ性について語りながら、極悪犯罪者にしか「神」は現れないという逆説的真理を、つまり善悪を超越した存在論的思考を展開している。最近、中沢とオウム真理教との共犯関係を取り上げて、中沢を糾弾しようとする本も(島田裕己)、出版され一部で話題になっているらしいが、糾弾する方が馬鹿である。本物の宗教が、善悪を超越した存在論的な危険性と反社会性を孕んでいることは当然だろう。島田よ、今ごろ、何を、甘ったれた泣き言を言っているのだ?


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