文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

有田芳生が浅野史郎批判だって…。相変わらず権力べったりで、分かりやすい「元共産党員」だわ(笑)。

僕は、共産党共産党員も、あるいはマルクスレーニントロツキーも、あるいはまた左翼過激派も別に嫌いではない。いや、むしろその過激な思想や生き方が大好きな方である。僕は、思想的にも政治的にも、他人からの印象はともかくとして、保守派右翼派を自認しているつもりだが、個人的には自民党自民党周辺にたむろする政治家や文化人があまり好きではない。彼らの多くは、利権や地位や名誉(笑)のオコボレにあずかろうとする営業保守、営業右翼にすぎないからだ。そこへ行くと共産党や旧社会党あるいは左翼過激派等の周辺にいる政治家や文化人は、一部の例外は無論あるだろうが、概して身辺は清廉潔白な人が多い。つまりよく解釈すれば、利権や地位や名誉(笑)に無頓着な人が多い。たとえば革命でも起こして、成功した暁には独裁者にでもなってやろうという荒唐無稽な野心を持っている輩もなかにはいるかもしれないが、そういう夢は150パーセント不可能なことだから、そうした夢に賭けるということ自体が、現実的な名誉や利権とは無縁だということになる。要するに、彼らは地位や名誉や利権よりも、思想や心情を重視する人たちなのだ。僕は、彼らの思想内容や思想的立場には反対だが、彼らの人間性や行き方は尊敬に値すると思っている。「私利私欲を捨てて思想に生きる…」というのは、言うは安く行うは難しである。そんなことは不可能と知りつつも、「私利私欲を捨てて思想に生きる…」のが、僕の哲学であり理想の生き方でもある。そういう「私利私欲を捨てて思想に生きる…」人間は、明らかに左翼・革新派には多いが、右翼・保守派には少ない。残念なことだが、右翼・保守派には「私利私欲を捨てて思想に生きる…」人間より、私利私欲のために権力に擦り寄っていく人間があまりにも多い。彼らのホンネは思想よりゼニ・カネである。「人はパンのみにて生きるものにあらず……」の逆である。むろん、僕はそういう人間を否定もしないし軽蔑もしない。むしろ健全な人種だと言っていい。しかし、思想的には、僕はそういう人種を尊敬することは出来ない。しかも彼等の中には左翼・革新派からの転向組が少なくない。若い時は共産党員か左翼過激派のシンパで、今は転向して自民党員か自民党シンパ(笑)。保守派の市民運動や大衆運動の多くは元共産党員の転向組の指導下にある例が少なくない。たとえば、「新しい歴史教科書をつくる会」や「拉致・・・会」なども例外ではない。それらは共産党直伝の組織論で動いている。デモ行進や投書、抗議活動とそのスタイル(笑)。共産党そのものである。別にどうでもいいことだが、僕が保守反動派を自認しながら、最近のネット右翼や保守派の市民運動や大衆運動に、微妙に違和感を感じて、それをしばしば拒絶し、批判したくなるのは、そこに理由の一つがある。言い換えれば、僕は、若い時から一貫して保守・右翼を標榜してきたような、いわゆる筋金入りの保守・右翼派の人間は尊敬している。たとえば、若い時に、三島由紀夫の「楯の会」やその周辺で政治活動や思想運動に参加し、今もその路線を貫徹しているような人たちに出会うと、現在の立場はどうであれ、やはり一目おかざるをえないと思う。似たような人は少なくない。彼らの多くは社会的には勝ち組ではなく、冷や飯組、要するに負け組と言っていいだろう。ところが、そういう筋金入りの保守思想家たちとはまった逆に、マスコミや権力に諂い、派手で目立つところだけを選んでのし歩き、いつも社会やマスコミの前面に立ち、おいしいところだけをつまみ食いしつつ、生き延びていこうとするような、いわゆる「昔は共産党員や左翼過激派で、今はピカピカの保守・右翼派…(笑)」という輩がいる。僕は、全共闘世代、団塊の世代に属する人間の一人だが、この世代にもその手の世渡り上手のインチキ保守、インチキ右翼野郎が、あらゆる分野に掃いて捨てるほどいる。たとえば、有田芳生というテレビ文化人もその典型的な人物だろう。元共産党員、共産党系出版社社員…である。オウム問題で名を揚げた人らしいが、その功績を評価されて、今やテレビ番組の常連コメンテーターだが、その時々の発言は、時の権力者の顔色に合わせてカメレオンのようにすばやく変身し、常に権力の補完装置としての発言を繰り返している。無論、今は、元共産党員からの「転向悦び組」らしく、何の疑いも自己批判もなく、嬉々として小泉・安倍政権擁護の論陣を張り続けている。笑うべし。統一教会合同結婚式かなんかへの祝電をめぐって、安倍と統一教会の親密さが報道されて安倍批判が沸騰すると、さっそく、政治家にとって誰に祝電を打とうとそんなことは問題じゃないよ、祝電なんて政治家にとっては瑣末的なことで、誰に祝電を打ったかなんて知ったこっちゃないよ……、とテレビやブログで熱心に安倍擁護…をする。これが元共産党員の成れの果てである。というわけで、お前はカルト宗教批判が専門だったんじゃないのか、いつから「カルトや権力のイヌ」になりさがったのか……、とネットやブログで有田批判が沸騰すると、さっさとブログを閉鎖しトンズラ。その有田が、なんと、浅野史郎都知事立候補宣言に対して、またまた浅野史郎を批判し、石原慎太郎を擁護するような発言を繰り返しているらしい。しかも、それがブログで…。まったアレレのレーである。いつのまにかまた、人が忘れた頃にソッとブログを再開していたらしいのだ。というわけで、その有田が再開したブログを読んでみると、「浅野は厚生省出身で、福祉のエキスパートのくせに、宮城県では福祉の切捨てに邁進し、宮城県の福祉環境は全国ランクでも大き下落しているではないか…」と激しい浅野批判を展開しているわけだが、その浅野批判の資料は共産党からの受け売りで、しかもなんと、その共産党の資料が大嘘、大間違いで、共産党自身が誤報を認めて謝罪するという笑うに笑えないハプニングが……。有田も、共産党の謝罪を受けて謝罪しているらしいが、恥の上塗りもここまで来れば芸術的である。さすが、元共産党の転向組。そして今や、小泉・安倍一派に奉仕する自民党御用達の「悦び組」(笑)。いつも商売繁盛で結構どすな。またまた笑うべし。

■有田ブログ http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/

http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/03/post_a51a.html

東京都知事選挙浅野史郎さんが立候補することが確実になった。来週にも正式に出馬表明するという。しかし最近の発言を聞いていて疑問に思うことがある。「福祉のエキスパート」だと自認し、マスコミもそう報じるのだけれど、はたしてそうか。これは共産党の志位委員長が語ったことだが、「『福祉日本一の県をつくる』と言いながら、社会福祉費は全国28位から43位に、児童福祉費は22位から41位に落ちた」(「スポーツ報知」2日付)。巨大開発で3000億円も金をかけてあまり利用されない港を作ったことも問題だ。就任時の県債は6000億円。ところが知事をやめるときには1兆4000億円に膨れ上がっている。借金は増えたのだ。財政難だと職員の給与をカットしたが、浅野さんは退職金1期で約5000万円を3期分手にしている。さらには辞職後に社会福祉協議会会長に納まり、非常勤にも関わらず月に約103万円の報酬を求めたことにも驚いた。「無党派」だからいいということでもない。宮城県政の中身がこれでは「改革」とはいえないだろう。「無党派」=「改革」は言葉のマジックだ。情報公開や警察の裏金問題にメスを入れたのは評価できる。しかし浅野史郎さんには、自民党以上に自民党的な体質があるように思える。


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