文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

浅野史郎立候補を大歓迎する。今こそ、政治や言論を私物化する暗愚の帝王・石原と石原一家に天誅を!!!


僕は都政にも都知事選挙にも別に興味ない。しかし石原慎太郎のような勘違い男を、いつまでものさぼらせておくのだけには大反対である。そもそも石原は、文学でも政治でも、中途半端な男で、外面だけでは反逆者のポーズを取りながら、その裏で文壇や政界の年寄り連中にゴマをすり、年寄り連中の庇護の元で甘い汁を吸いつづけ、結局つまみぐいだけで生きてきた男である。コワモテの保守派論客というイメージも、まったくの偽装であつて、本質は変わり身の早い、時局便乗主義の尻軽な軽薄人間に過ぎない。それが、たとえば僕の専門の文学というジャンルで言えば、ライバルだった大江健三郎江藤淳、あるいは三島由紀夫という文学者たちに大きく水をあけられた理由だろう。一方、政界に目を転じてみると、一昨年の郵政選挙で、石原新党をちらつかせて亀井や平沼を煽動しながら、土壇場になって亀井や平沼を裏切り、小泉支持に豹変した事件を思い出すのは僕だけではないだろう。石原は遠くから見ているとカッコイイが、近づいてよく見ると人間的には醜悪・陰険で、人徳のまったくない男だとは、多くの人が証言しているが、具体的に言えば、中川一郎亡き後、中川派を継承したにもかかわらず、あっという間に派閥そのものを手放さざるを得なかったことは、石原と言う政治家の資質が、どんなものであるかを実証している。今までは、一部の人にしか見えなかったが、最近の都庁公費を家族で浪費するという公私混同疑惑や、銀行政策の失敗、東京オリンピックや東京マラソンの暴挙…等など、この男の卑劣・下品な人間的本質が、とめどなく噴出し始めているというのが実情だ。先月の芥川賞選選考会後の記者会見にまでしゃしゃり出てきて、頓珍漢な大口を叩いて新芥川賞作家を絶賛していたようだが、これまた噴飯ものである。そもそも未だに、石原慎太郎芥川賞選考委員に名を連ねていること自体が喜劇だろう。大江健三郎古井由吉を初め、もうみんな引退して後輩に道を譲っているじゃないの。文学とはもっとも無縁な男が、何故、いつまでも芥川賞選考委員の座にしがみつくのだろう。これこそ老醜である。「文藝春秋」3月号の芥川賞発表号にも登場して、子供か孫のような年代の村上龍や綿谷りさらと組んで、「我らが青春の芥川賞を語ろう…」なんて、くだらない、取ってつけたような軽薄な鼎談をしているが、これも選挙対策だろう。まったく見境のない品性下劣な男である。というわけで、都知事の職に固執する石原慎太郎の前に、浅野史郎宮城県知事が正式に立候補することになったようだが、まことに嬉しい限りである。どちらが勝とうが負けようが別にどうでもいいことだが、石原と石原一家が、いよいよ崖っぷちに追い詰められたことだけたしかだろう。まことにめでたい話だ。それにしても民主党の都連の海江田某とか円某って、いったい何を考えているのだろう。今ごろになって立候補の動き…(笑)、だって。おまえら、オバケか。出るところが違うだろう。出るところを間違えるな、って。


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民主が浅野氏支援へ、党内一本化急ぐ…都知事



 東京都知事選(22日告示、4月8日投開票)について、民主党は2日、事実上の出馬表明をした浅野史郎・前宮城県知事(59)を支援する方針を固めた。

 無党派層の支持を重視する浅野氏の意向に配慮し、推薦せず実質的な支援にとどめる方向だ。

 自民党は、3選出馬を表明している石原慎太郎知事(74)の支援をすでに決めており、都知事選の対決の構図が固まった。

 民主党鳩山幹事長は2日、都内で記者団に、浅野氏について「一刻も早く正式な出馬表明をしてもらい、民主党としてどういうことを協力できるか考えないといけない」と述べた。

 また、「浅野氏は情報公開を徹底的に行ってきたので、伏魔殿のような都庁を情報公開すると(主張するだろう)。『透明な浅野と不透明な石原』という面白い構図が出来る」と指摘した。

 民主党海江田万里・前衆院議員の出馬の可能性については「本人は、『出馬を考えているという状況ではない』と言っている」と否定した。

 民主党が浅野氏を支援するのは、宮城県知事として情報公開などを進めた実績に加え、石原都政に批判的な姿勢を取っていることを評価したためだ。今後、浅野氏との間で、選挙戦での支援のあり方や重視していく政策などの調整を進めたいとしている。

 ただ、民主党東京都連に、なお独自候補擁立を求める意見があるため、鳩山氏ら執行部は、浅野氏支援で党内の一本化を急ぐ方針だ。
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(2007年3月3日3時1分 読売新聞)