文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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芥川賞よりも四方田犬彦の「先生とわたし」(「新潮」3月号)が面白い。

芥川賞よりも四方田犬彦の「先生とわたし」が面白い。
 例によって、今月は、芥川賞発表の月だったが、いったい誰が、どういう作品
で受賞したのか、などということにあまり興味が沸かない。何故だろうか。「文
藝春秋」に受賞作(「ひとり日和」)が、「文学界」に新芥川賞作家・青山七恵
のインタビュー(「流れゆく世界を見つめて」)がそれぞれ掲載されているが、作
品も作者も、そして話もきわめて地味な感じで、それ故にある意味では好感がも
てるけれども、しかしやはりそれだけのようにも思える。深読みすれば逆にその
地味さが、昨今の芥川賞の「芸能タレント・コース化」へのアンチ・テーゼとし
て評価できるという程度のものだという感じがする。ただわずかに面白いと思っ
たのは、青山七恵の年齢である。インタビューによると、青山は、金原ひとみ
綿矢りさ等と同じく「酒鬼薔薇世代」のようだ。青山は、こんなことを言ってい
る.。
 ≪作家のあたり年かどうかわかりませんが、ちょうど「酒鬼薔薇事件」起きた
時、私も同じ十四歳で、その後佐賀のバスジャック事件などで「キレる十七
歳」と言われた時も、やはり十七歳だったんです.。≫
 しかし、そう言いながら本人は、同世代の少年が引き起こしたこれらの一連の
「事件」に対してはそれほどショックを受けることもなく、結構醒めた目で見て
いたと言う。なるほどそうなのかと思うが、にもかかわらず私は、ここには何か
があると思う。やはり、何かを見てしまった世代なのかもしれないが、しかしそ
れが何であるかはわからない.。インタビュアーが、「バブル崩壊は青山さんが八
歳のときですね.。右肩あがりを信じられた時代に育った上の世代とは、どこか決
定的に違うのではないでしょうか。」と、サルにもわかるような(笑)、通俗的
な世代論的解説をしているが、そんなサルにもわかるようなレベルの問題では
なかろう。むしろ、この世代は、世間や社会や時代に対して根本的な懐疑を強い
られた世代なのだろう。
 さて、石原慎太郎も推薦する芥川賞受賞作よりも、四方田犬彦の「先生とわた
し」(「新潮」3月号)が問題なく今月の傑作であると思われるので、それを紹介
しておこう。この作品は、四方田犬彦の自伝的な回想録で、先月ここで取り上げ
小谷野敦の「なんとなく、リベラル」(「」文学界」2月号)に続いて、いわゆる
東京大学」の「似非アカデミズム」的な学問的状況論を主題にしているという
意味で、重要な作品である。


■東大に学問はあるのか?
 なぜ、この作品が傑作なのか、と言えば、それは、東京大学に象徴される現代
日本を支配し、先導する「学問」と「人間」という「似非アカデミズム」が、現
代の文学・政治・経済等のあらゆる文化的ジャンルにおける根源的な病根の一つ
として重要な意味を持っているからだ。極論すれば、小泉改革とか新自由主義
あるいはポストモダン等と言われるものも、この「東大似非アカデミズム」幻想
と無縁ではない。つまりここ十数年の間に吹き荒れた薄っぺらな「改革ブーム」
の背景にも、「東大似非アカデミズム」幻想に類似する共同幻想があったといっ
ていい。言い換えれば、ここ十数年の間、その「東大似非アカデミズム」幻想を
批判する強力な批評家や思想家がいなかったということである。さらに言い換え
れば、むしろ批評家や思想家たちの方が、「東大似非アカデミズム」的幻想に従
属し、その中で惰眠を貪りつつ、楽しくはしゃいでいたと言うべきだろう.。そし
て今、ようやくその「東大似非アカデミズム」幻想的なものへの批判が始まろう
としているということだろう。
 四方田犬彦の「先生とわたし」は、「東大似非アカデミズム」の世界に迷いこ
んだ「非東大出身」の「外様」の英文学者の奇矯な言動を通して、東大にもまだ
学問的な血脈は生きているよ、というようなことを肯定的に描いている作品だ。
私は、四方田犬彦ほど東大アカデミズムというものに幻想を持っていないが、し
かし四方田が、東大にはまだ古き良き学問の伝統がかすかにではあれ、生きつづ
けているのだという、いわゆる東大アカデミズム幻想が捨てられないとしても、
それはそれで認めてもいいだろう。それだけが彼らの学問的、社会的な存在根拠
拠だからだ。しかし、そこに四方田犬彦という学者、批評家の限界があることは
言うまでもない。四方田犬彦が自慢たらしく書く東大時代の先輩や同級生、ある
いは後輩たち、つまり現在活躍しているらしい「学者たち」を、私はほとんど知
らないし、当然のことだが彼らの書いた論文やエッセイなどもほとんど読んでい
ない。皮肉な言い方をすれば、彼らが読むに値しないものしか書いていないとい
うことだろうと私は思う。
 四方田犬彦は、この作品の前編とも言うべき『ハイスクール1968』という通俗
的で陳腐な青春回顧録も書いているが、比較にならないほどこの「先生とわたし
」という作品のレベルは高いと言わなければならない。この作品の中心人物は、
前作と違って四方田犬彦やその仲間たちではない。由良君美という「非東大出身
」の「先生」である。言うまでもなく、そこにこの作品の独特の存在理由がある.
。ちなみに、四方田犬彦は、二十代を通じて十年前後、由良君美ゼミの学生で
、学問上の勤勉な弟子の一人だったらしい.。


由良君美とは何者か?
 さて、由良君美の経歴だが、彼は東大受験に失敗し、学習院大学で哲学と英文
学を専攻、やがて慶応大学大学院で西脇順三郎に英文学を学ぶ。そしてその才能
を買われて東大に助教授として迎えられる、というちょっと変った経歴の持ち主
である。四方田犬彦の「先生とわたし」の重要なポイントも実はこの経歴にある.
由良君美は、期待に胸をふくらませて東大助教授として赴任するが、「東大似
非アカデミズム」の中で、「非東大出身の外様の東大教授」という理由で同僚の
中で冷遇される。だが、こと学問や思想、芸術への情熱は誰よりも激しく、学問
と教育、あるいは学外での言論活動は多彩を極めた.。実は「東大アカデミズ
ム」で、学問や芸術の名に値するようなものは、この非東大組の由良君美の周辺
にしかなかったという皮肉な話が、この「先生とわたし」のオチだ。
 四方田犬彦の描くところによると、由良君美の特徴は、外見はダンディで
、貴族的な風貌の持ち主の立派な紳士でありながら、学問や文学のことになると
、弟子にさえ嫉妬し、時には弟子に殴りかかるような奇怪で過激な言動を繰り返
す異人であった。晩年はアルコールに浸り、酒乱状態で周囲を恐怖させるような
言動もしばしばだったと言う。四方田犬彦にとっては最高の師でありながら、晩
年は、ほとんど絶好状態で、一説では由良君美が弟子の四方田犬彦の活躍に嫉妬
し、酒場で四方田犬彦を殴ったこともあったらしい.。
 いずれにしろ、由良君美は、不可解な言動を繰り返す教師だったが、文学に関
しては真剣勝負をしていたようだ.。由良君美は、当時活躍していた文藝評論家た
ち、たとえば小林秀雄吉本隆明江藤淳などに対して激しい批判を繰り返して
いたと言う.。
  ≪由良君美がこうした講義を通して繰り返し強調したのは、文学の研究は確
固とした方法論に基づいてなされなければならない、という信念だった.。方法が
あって、しかるべき後に感想や印象に価値が生じることになる.。彼は日本の私小
説的な風土を醸成してきた体系のなさと、それに発する印象批評を深く憎んでい
た.。彼によれば、小林秀雄は脈絡のない感想を特権的な場所から述べたてている
文壇人であり、吉本隆明は出鱈目な理論を好き勝手に援用している野人にすぎな
かった.。≫
  江藤淳に関してはその批判は、さらに激しかった.。というのも、由良君美
江藤淳は、慶応大学大学院で、ともに西脇順三郎の元で学んだ先輩後輩の間柄だ
ったからだ。
  ≪ちなみに文藝評論家の江藤淳由良君美より3年遅れて、この西脇ゼミを受
講している。もっとも西脇は、学生時代から文壇の喧騒のなかを遊泳する術に長
けた印象を与えた江藤をひどく嫌っていたようで、「今日は江頭君が来ているか
ら教室に出ない」と他の学生にいったという逸話が残されている.。由良君美も江
藤を嫌っていて、『漱石とその時代』はイギリス絵画への基本的な無知に基づく
、方法論を欠いた愚著だと公言していた.。≫
  私は、由良君美の文学論も、小林秀雄批判や江藤淳批判もともに賛同しない
が、しかし、これだけ真剣に小林秀雄江藤淳に立ち向かう由良君美の文学への
情熱には感動する.。言うまでもなく、由良君美の批判は、小林秀雄江藤淳への
単なる嫉妬や妬みを超えている.。それは、彼自身が、「東大似非アカデミズム」
の世界に閉じこもり、惰眠を貪りつつ批判・罵倒しているだけの似非学者ではな
く、小林秀雄江藤淳に対抗するかのように彼自身も盛んに書きつづけ、いわば
書くことの現場で真剣勝負を挑んだ学者・文人だったからだ.。
 由良君美という学者の特徴は、その旺盛な著作活動、編集活動にあると思われ
る。何故、東大教授という地位にありながら、それほど旺盛な執筆・言論・編集
活動に情熱を傾けたか、という問題こそ由良君美の秘密だろう。四方田犬彦は、
由良君美の一族の歴史まで調査して、その謎を解き明かそうとしているが、十分
に解き明かせたとは思えない。むしろ謎は深まるばかりだ。いずれにしろ、「東
大似非アカデミズム」の世界で例外的に活動していた学者、批評家、編集者が、
「非東大出身」の由良君美だったことは面白い.。
  ≪しばらく世間話をした後で、突然に彼がわたしに尋ねた.。きみねえ、戦前
に東大で教えていた文学の先生で、きみが名前を挙げられる人がいるかね.。/予
想もつかない質問だった.。もちろんわたしには満足に答えられるはずもなく、わ
ずかに辰野隆渡辺一夫くらいしか思い浮かばない。本郷の英文学の世界でどの
ような教授がどのような業績を残していたのかについて、わたしはまったく知識
がなかった。/じゃあ早稲田や慶応はどうだい? 今でも文学として残る仕事をし
た先生を、君はどれだけ名前が挙げられる? /これは簡単だった.。早稲田なら日
夏こう(耳ヘンに火)之介。慶応は西脇順三郎、それか折口信夫、呉茂一。えー
と、永井荷風も慶応でしたよね.。/由良君美はわたしの回答を聞いて、ようやく
満足そうな表情をした。≫
 周囲を恐怖させるほどの由良君美の激しい言動の根源に学歴差別の問題があっ
たとは思えないが、ただ、由良君美という存在が、「東大似非アカデミズム」の
実態を暴き出していることは否定できない。皮肉なことに、由良君美という英文
学者は、「東大英文学」の中で、例外的に歴史に名を残す存在になるだろう、と
いうことだけは確かなように思われる.。四方田犬彦のこの作品が、それに寄与す
るだろうことは言うまでもない.。
 実は、私もこの「先生」(由良君美)には個人的な思い出がある。私が慶応大
学の学性だったころ、京大助教授の池田浩士とともにちょっと気になる存在だっ
たからだ。というのは、慶応の文学部の出身で、東大や京大の助教授になってい
る先輩がいるということが不思議だったし、また何か自分の将来にも希望がある
ように思えたからである。したがって、この作品を読んで、ちょっと驚くととも
に感動せざるをえなかった。由良君美にもそんなドラマティックな文学と人生が
あったのか、と。
(註…これは「月刊日本」掲載予定原稿の下書きです。)







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