文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

早雪忌ー三浦重周さんを偲ぶ会(一周忌)で……。

あれから一年がたった。早いものだ。民族派思想団体「重遠社」代表、「三島由紀夫研究会」事務局長で、宮崎正弘さん等とともに「憂国忌」の運営を実質的に取り仕切ってきた民族派の政治思想家・三浦重周さんが、昨年の暮れ、故郷の新潟の岸壁で割腹自決した。僕は、それほど親しい関係だったわけではないが、ここ数年、憂国忌や三島研で、頻繁にお会いしていた人だったので、その話を聞いたときには、本当に驚いた。何故? しかし考えてみれば、彼の過激な行為がまったく理解できなといういわけでもない。現代日本の思想や政治への絶望……。しかし「理解できる」などと軽々しく言うのは傲慢と言うものだろう。三浦重周さんの死が、誰にも理解できないからこそ、学生時代から行動を共にしてきた友人達や後輩達を初めとして、みんな大きな衝撃を受けているのだ。昨日、一周忌の集いが、九段会館で行われたが、なかなか心温まる感動的な集いだった。僕は、学生時代から思想的には「超保守」派だったが、実践的な思想運動や政治活動をやっている人たちとは全く無関係だった。宮崎正弘さんや三浦重周と知り合うまでは、全く孤立していた。そういう人たちが存在するということさえ、半信半疑だった。今、僕は、宮崎正弘さんをはじめ多くの人たちとの交遊を通して、思想的に、また政治的に啓発されている。こういう思想的、人間的なつながりを作る機会を与えてくれたのは宮崎正弘さんであり三浦重周さんだった。さて、昨日は三浦重周さんの第二冊目の論文集『国家の干城、民族の堡塁』も完成していた。三浦重周さんとは、頻繁にお会いする機会があったにもかかわらず、振り返ってみると政治や文学について、話したことはほとんどない。三浦重周さんの専門だった政治論文なども、ホームページ等で、二、三読んだことがあるだけだ。これから、正月の前後に我が「毒蛇山荘」に立て篭もり、二冊の論文集を腰を据えてじっくり読みたいと思う。三浦重周さんが、死を賭けて訴えたかったものは何か? あらためて考えてみたいのだ。そして出来るだけ早いうちに、三浦重周さんの故郷であり、最期の場所でもある新潟にも行ってみたいと思っている。(主宰者を代表して挨拶するのは宮崎正弘さん。)

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