文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

ブキャナン「公共選択論学派」の「小さな政府論」の「反ケインズ主義的謀略」

 
今までとおり、まだ「反ケインズ主義」の経済学的な理論的根拠としての「ルーカス問題」の分析と解明を続けていくつもりだが、たまたま衆院選挙に大勝した小泉首相の「所信表明演説」を読む機会があったので、ちょっと脇道に逸れることになるかもしれないが、と言っても実は問題そのものはまったく重複しているのだが、いわゆる「公共選択論学派」を率いるブキャナンの「小さな政府論」にふれてみたい。


選挙キャンペーン中から所信表明演説へと続けて、小泉や竹中が「馬鹿の一つ覚え」のように繰り返し繰り返し唱えている「小さな政府論」だが、それが「受け売り」であることは言うまでもないが、その受け売りの元ネタの張本人とも言うべき経済学者がブキャナンである。


それを知れば、小泉・竹中一派が執拗に反復する「小さな政府論」の裏と表が見えてくるはずである。要するに、今やそれを聞くと誰もが黙ってしまう「小さな政府論」も、現代世界の共通の常識でも、経済学的な真理でもなく、ある特定の政治グループ、あるいはある特定の経済学者グループが、戦略的に信奉し、固執する一種の政治経済学的イデオロギーにすぎない。小泉・竹中一派はそれに洗脳されているだけである。


さて、「小さな政府」の根拠は何か。なぜ、大きな政府ではなく小さな政府でなければならないのか。小さな政府になれば、民間活力が増大し、社会はダイナミックな発展過程へと突き進んでいくというが、それは本当なのか。 小泉首相所信表明演説草稿には、こう書いてある。


《私は、このような構造改革を断行し、政府の規模を大胆に縮減してまいります。》《少子高齢化が進むわが国は、本格的な人口減少社会を目前に控えており、子や孫の世代に負担を先送りすることなく、国民一人一人が豊かな生活を送ることができる活力ある社会を構築していかなければなりません。》


《「公務員を減らしなさい」「行政改革を断行しなさい」「民間にできることは民間に」この基本方針には多くの人が賛成するのに、なぜ、郵政事業だけは公務員でなければできないのか、民間人にまかせられないのでしょうか。》


もう聞き飽きた言葉の羅列だが、実はこのワンパターンの言葉の羅列の中に基調低音として流れているものこそ、小泉・竹中が信奉しているらしい「小さな政府論」のイデオロギーなのである。無論、そのイデオロギーの理論的教祖の一人がブキャナンである。


では、フリードマン、ルーカスと並んで、「反ケインズ主義」を標榜するアメリ新古典派の経済学者ジェームス・ブキャナンの経済思想とはどういうものだろうか。公共財の供給・消費は無駄で不合理な浪費とならざるをえない、したがって社会はできるだけ公共財を少なくするべきであり、その結果当然の帰結として政府も「小さな政府」を目指すべきである・・・というものだ。


このブキャナン流の「小さな政府論」が理論的なターゲットにしているのは、言うまでもなくケインズであり、ケインズ主義的な「総需要拡大論」である。その論拠も、ケインズ主義的な総需要拡大政策の実行のためには、財源として国債発行が必要であり、その国債発行額が累積し、やがて子孫の世代に大きな負担を残すことになる・・・だから、ケインズ主義的な総需要拡大はやめるべきだ・・・というものだ。


小泉首相は、所信表明演説で、こう言っている、《この結果、日本経済は、不良債権の処理目標を実現し、政府の財政出動に頼ることなく、民間主導の景気回復への道を歩み始めました。》ここで小泉が言っている、「政府の財政出動」に頼ることなく、「民間主導の景気回復」という言葉にも、小泉・竹中の「受け売りの経済思想」が露呈している。「反ケインズ主義」である。 ところで、小泉首相は、銀行への莫大な公的資金の注入も「民間主導」だったと言うのだろうか。


今、日本経済が景気回復への道を歩み始めたと言うのであれば、それこそ政府に「オンブにダッコ」の景気回復ではないのか。言い換えれば、政府の保護と恩恵に預かった企業のみが景気回復しているだけではないのか。財政再建どころか財政赤字がふくらむのは当然なのである。「受け売り」と「思考停止」の「小さな政府論」という「責任放棄」の経済哲学で、財政再建などできるわけがない。最新経済学とは言えども、まず自分の頭で考えることから始めるべきではないのか。
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