文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

ブログと既存マスメディアの決定的な差異(読者からの投稿) 


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Subject: ブログと既存メディアの差異
Date: Thu, 18 May 2006 14:32:24 +0900


 ●ブログと既存マスメディアの決定的な差異 


 山崎先生のブログ論に賛同します。確かにブログの存在意義や
方向性は、既存の大型メディアに濃厚に見られる情報統制的な
構造からフリーに存在していることにあります。



 既存大型メディアには大きく分けて二種類の報道バイアスがかか
っています。一つは、現小泉内閣に見られるような、たとえば政府
主導によるバイアスや、大手広告会社(電通とか)による広告収入
を盾に取ったバイアスなど、いわゆる外側から統制圧力が働く場合
です。



 もう一つは、「言葉狩り」に見られるようなマスコミによる報道自己
規制というバイアスです。実は、この報道の自己規制と外側からの
圧力統制は境界がはっきりせず、曖昧なゾーンがあるようです。それ
というのも、既存の大型メディアは、GHQによる放送コードのトラウマ
を持つという伝統がありますから、今もって、政府筋などに凄まれる
とすぐに萎縮するというか、慌てて報道規制してしまう条件反射が
身についています。


 たとえば民放TVのニュースソースが時限的に見て、各局判で押し
たように同じ内容、同じレベルで放送されています。これなども、局
が自立していれば、各局の自律的判断によって、複数あるニュース
ソースの優先順位や強調的報道視点を日々選べるはずなんですが、
どういうわけかどの局もほとんど似たり寄ったりです。これなども、ニュー
スの序列を決める判断が各局の外側に存在すると考えざるを得ない
わけです。


 もっともえげつない情況でマスコミが情報統制をかけたのが、昨年の
郵政民営化是非の総選挙時でした。あれは明らかに官邸サイドの
意向をそのまま、マスコミが百パーセント呑むという、日本報道メディア
民度が最大値に低下した現象でした。まさに国際社会における恥
以外の何物でもなかったわけです。しかし、この最悪の情況で真相を
語るメディアが唯一ブログ発信だったわけです。


 プロの物書きでなくとも、自分が考えたことや知る情報をバイアスの
かからない形で発表できる場がどこかに存在しなければこの世は真っ
暗闇でしょう。私自身は戦争の危機に国家が陥った時は、国家が
翼賛体制を敷くのは当然だと考えています。なぜなら戦う以外に危
急存亡から脱出できない場合は、戦うことだけに情報が絞られて当
たり前だからです。


 しかし、共謀罪法案などのように今の情況でその類の統制が行わ
れることは、官邸の私的都合によるファッショ以外の何物でもなく、マ
スコミが共謀罪に鈍感なことは、報道人の魂の腐食そのものです。
GHQに睨まれていた当時とは事情が異なり報道開放系の条件が
整っているにも関わらず、マスコミは自堕落なゴミ放送ばかり垂れ流
しています。既存大メディアはまさに、江藤淳の言うところの「閉ざさ
れた言語空間」にすっぽりとはまっています。


 こういう報道情勢の中で、ブログはその品質の高低を問わず、統
制的構造からはフリーになっています。山崎先生のおっしゃるとおり、
この自由度が何よりも大事な性格であります。ですから、マスメディ
アや御用学者・御用評論家たちが、揺籃期のブログの体裁をあげ
つらって、品位のない思考の垂れ流しだとか、自己満の無内容だ
とか、一部のだらしないブログを、さも全体であるかのように批判し
ますが、彼らこそブログの持つ真の報道性に大きな危惧を抱いて
いると考えるべきでしょう。


 今の日本で、情報エントロピーがもっとも高いのはブログです。

http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/

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