文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「豊田商事事件」や「オウム真理教事件」の若者たちとの共通性


 僕は、ライブドア事件で主役として次々に登場してきた「若い幹部たち」の人相風体を見て、「あっ、あれだ!」と思った。つまり、「豊田商事事件」や「オウム真理教事件」の若者たちを思い出したのである。どう見ても、その風体が怪しいのである。それは若さだけがもたらした怪しさではない。彼らの風体が表わしているものは、「反社会的」な怪しさである。堀江を除いて、東大や早稲田や慶応、あるいは京大や一橋などの、いわゆる一流エリート大学出身者が見当たらない。なぜか。ライブドアの若者たちがそういうエリート派を敬遠し排除したのか。それともその逆か。いずれにしろ、「ナンバー2」の宮内某の「横浜商業高校卒」という経歴が象徴するように、このグループは、「反学歴派」であり、権威的、制度的なエリート派社会への「ルサンチマン(怨恨)集団」であろうと思われる。その風体や経歴そのものが、反社会的で、犯罪的な臭いを醸し出している。やはり、なんらかの形で、つぶされるべき運命にあったと言っていい。実は、偽装マンション事件の主役たちも、ほとんどが「高卒」であった。ヒューザーの小島社長、姉歯建築士木村建設東京支店長…。いすれも高卒である。むろん、僕は高卒の若者たちを軽蔑しているのではない。むしろ尊敬したい気持ちだ。ある意味では、彼らは、高卒のまま、この学歴社会の中で、あそこまでのし上がって行ったのだから、「えらい…」と言ってもいい。企業とは、彼らのような野生派によつて創造され、発展していくものかもしれない。エリート派の若者たちは、一流会社を目指すだけで、自分で「企業を興す…」という芸当はなかなか出来ない。いずれにしろ、僕は、彼ら脱エリート派の中に、一流の芸術家が持つ「虚無よりの創造」という心理を見出す。小林秀雄は、「あらゆる芸術家はまず虚無を所有する必要かある」と言っているが、まさに「オン・ザ・エッジ」(塀の上)の心理である。言い換えれば、これは、「善悪の彼岸」(ニーチェ)の心理であろう。ところで、この事件を、「検察の暴走」という視覚から見る意見が少ない。僕にはホリエモンを擁護するつもりは全くないが、しかしライブドア強制捜査からホリエモン逮捕に至る検察の動きが、「公平中立」だとは思わない。明らかに国策捜査であろう。検察は常に「正義の味方」なのか。そんなはずはないだろう。ライブドアホリエモンに関しては、検察は、去年の「ニッポン放送株」の時間外取引が話題になった頃、つまりかなり早い段階から内偵を始めたと言う。そして、やつと「1・16」に、強制捜査にたどりついたのだと言う。本当なのか。そんなはずはない。嘘に決まっている。事件にするかどうかは、つまり「1・16」に強制捜査に突入するかどうかは、きわめて「政治的」問題であろう。むしろ、多くの場合、「内偵」だけの段階で消えていくはずである。検察が強制捜査や家宅捜査に入るかどうかは、例によって「政治的」な問題である。言い換えれば、ホリエモンが、突然、衆議院選挙に立候補した時点で、検察によるライブドア問題の「事件化」の可能性は完全に消えていたはずである。ホリエモン自身もそう判断したはずである。なんせ、自民党小泉一派のお墨付きで立候補し、落選したとは言え、「人寄せパンダ」の一人として、あるいは政敵つぶしの「刺客」候補の一人として、「小泉圧勝」に大いに貢献したのである。ホリエモンのバックには、小泉・竹中一派がついていたのだ。検察が簡単に手を出せるはずがない。それが、復活してきたのは、何故か。







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郵政民営化と小さな政府作りは、
小泉純一郎ホリエモン竹中平蔵が、
スクラムを組んでやり遂げます…」(?)
 (竹中平蔵談)



そこで、このライブドア事件西村真悟事件の共通性という問題が浮上してくる。検察の政治性という問題である。事件化のプロセスに、同じ構図が浮かび上がってくるのだ。家宅捜索を入れて側近を取り調べて、一週間後(西村事件の場合は十日後)にターゲットを呼んで逮捕…。小さな違反で立件して証拠を押さえて大きな事件で再逮捕へ…。そしてそれに対するマスコミの反応も、インタビューに答える市民の扱い方も同じ。事件化のパターンがまつたく同じなのである。検察のノウハウにあるのだろうか。この調子で行くと、これから地検のリークが続いて全国に悪逆非道のイメージを作られて、二十日後に新しい犯罪で再逮捕されて、気が付いたらすべてが終わっていたということになるだろう。西村真悟代議士逮捕事件もそうだった。全く同じ構図なのである。しかし残念ながら、マスコミにも、一般市民社会にも「検察の暴走」を問題化する能力はないようだ。検察の垂れ流すリーク情報をそのまま鵜呑みにし、検察の思いのままに一喜一憂させられているだけのように見える。猿以下の国民である。ついでに言っておくと、「ヤマハ発動機事件」の「事件化」のタイミングも怪しい。ちなみに、「小泉マンセー・ブログ」http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2006/01/post_ffcd.htmlの多くが、ライブドア事件ヒューザー偽装マンション問題を飛ばして、いっせいに「ヤマハ発動機事件」に群がっている。何故? 施工君、教えて…くれよ(笑)。




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