文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

石原慎太郎が恫喝。紀宮結婚式「祝辞」における「ベルグソン誤用」を指摘されると、逆にそれを報道した「日刊スポーツ」を恫喝?

先日、紀宮結婚式「祝辞」における「ベルグソン誤用」を指摘された石原慎太郎が、定例記者会見の席で、激昂してそれを記事にした「日刊スポーツ」記者を恫喝している画面を見た。「盗人猛々しい」とはこういうのを言うのではないか。僕も、この記事にはコメントしているので半ば当事者である。避けて通ることは出来ない。石原慎太郎は、この話題で質問されると、突然、興奮して、「卑怯だよな…」「おれはベルグソンだと思いますが…と言っているだろう…」「ベルグソンだと断定はしていない…」等と、「ベルグソン誤用」を半ば認めつつ、「ここに『日刊スポーツ』はいるか…」と記者席をにらみつけた。そして挙句の果ては、誤用を批判するなら「論拠を示せよ…」だつて。おやおや、なんという低次元の居直り。子供の喧嘩じゃあるまいし…。「論拠(この場合「出典」かな?)を示す…」べきなのは石原君、キミのほうだろうが…。それにしても、都知事というより作家としての知名度が高い石原慎太郎ともあろう人が、皇室の結婚式の挨拶で、「ベルグソンか誰だか知らないが、昔読んだことのある雑文かなにかの一文…」を、しかも間違って引用するなんて…。そんないい加減な「ご挨拶」を、天皇皇后両陛下や多数の皇族を前にして堂々とやったとは…。畏れ入りました。しかもその誤用を指摘した記者を、「卑怯だ…」と恫喝するとは。喜劇にもならない話だ。石原は、つい最近も、靖国参拝する必要がないと言いながら、「東条英機拳銃自殺未遂事件」に関してもいい加減なことを書いて、東條の近親者や専門家達から「間違い」を指摘されて、反論できず大恥をかいたばかりだというのに。しかも相手が、「大物」だったりすると反論も抗議もせずに黙っているのに、新聞記者が相手だと、「暴力団の親玉」みたいにスゴんて粗暴な言葉で「恫喝」する…という「卑怯さ」である。これを「卑怯」と言わずしてなんと言うべきか。この「ベルグソン誤用事件」が、作家・石原慎太郎の汚点になることは間違いない。石原は、この記事を書いた「日刊スポーツ」記者や、それにコメントした小生などを恫喝すれば、この汚点が消えるとでも思っているのだろうか。むろんそんなこともありえない。石原がどんな権力を持っているか知らないが、少なくとも僕は、石原の「居直り」と「恫喝」に屈するつもりはないあるよ…(笑)。いい加減な知ったかぶりと、コケオドシの恫喝なんかやめろよ…、恥の上塗りになるだけだろう…なんてね。





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