文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

篠原一の短編小説「19℃のロリータ」の盗作問題について。(続)

僕は漫画を読まないので、「楠本まき」も知らないし、漫画「致死量ドーリス」も知らない。最近、日大芸術学部清水正教授の講演シリーズで現代漫画を二、三篇読み、その思想的、芸術的なレベルの高さに驚いた経験があるぐらいだ。確かに吉本ばななが登場してきた頃から、少女マンガとの類似性や漫画からの影響と言うことは言われている。しかしそうは言っても、僕は漫画に夢中になるわけでも、これからは漫画の時代だ、とおもうわけでもない。僕が古いのかもしれないが、漫画は漫画であり、漫画がどれだけ進化し発展しようともそれが文学や小説に取って代わるわけでもない。問題は、やはり漫画からの影響で書いたり、漫画からのパクリに走ってしまう作家達の資質の問題だろう。こういう盗作やパクリの問題を起こすのが、いつも「年若くデビューした女性作家」というところに鍵がありそうだ。今年だったか昨年だったか「中学生少女作家」が誕生したというニュースもあったが、僕は、河出書房の「文藝」が意識的に展開してきたこの種の「低年齢化」と「美少女作家」戦略に一貫して反対してきたので、最近どうなっているのか、その辺の詳しい状況は知らない。文学を冒涜するような「小説家ガキ化戦略」を始めた担当編集者もよく知っているが、僕は最近は河出書房の「文藝」もほとんど読まない。たまに覗き見したり立ち読みする程度だ。そこから新しい実力派の作家が誕生してくる可能性もないわけではないだろうが、僕は興味ない。いずれ「産まれたばかりの赤ん坊の書いた小説」…でも売り出するんじゃないの・・・と冗談半分に推察するだけだ。河出書房と言えば、何回も経営危機や倒産を繰り返しつつも、坂本一亀とか寺田博とか、それこそ純文学の砦を必死で守ってきた鬼編集者たちが活躍した名門なのだ。最近、経営的にはどうなっているか知らないが、文学そのものからはかなり外れてしまった、と思う。この盗作騒動も、その延長上にあるのではないか。さて、篠原さんも、元々の作家デビューは、文藝春秋の「文学界」だが、最近の活躍の舞台はもっぱら河出の「文藝」や集英社の「すばる」だった。「小説と漫画のクロスオーバー」するような世界で書いていたはずである。僕の盗作の基準は、「文章や会話の丸写し」という一点である。ストーリーやキャラクターの類似ぐらいでは、僕は個人的には「盗作」と認めない。篠原さんの場合はどうだったのか。「文章や会話の丸写し」が何ヶ所かあったとすれば、引用と言う形式をとっていない以上、もはや言い逃れは出来ないだろう。以下の毎日新聞の記事を読むと、篠原さんの立場はかなり怪しいのではないか。



「19℃のロリータ」と「致死量ドーリス」 集英社の文芸雑誌「すばる」8月号に掲載された篠原一(しのはらはじめ)さん(29)の短編小説「19℃のロリータ」と、1998年に祥伝社から刊行された楠本まきさん(38)の漫画「致死量ドーリス」のストーリーが酷似している上、同じ表現が数カ所あることが分かった。両社は篠原さんが盗作した可能性があるとみて調査を進めている。

 篠原さんは17歳だった93年、「壊音 KAI−ON」によって史上最年少で文学界新人賞を受賞した女性作家。代表作に「アイリーン」などがある。

 「19℃のロリータ」は「B文学賞を最年少で受賞した」学生「僕」が主人公の一人称小説。若い女性の「きみ」にひかれるが、人生に意義を見いだせない女性は死を急いでしまう。

 「致死量ドーリス」も「僕」と若い女性の「君」の物語。女性が死へと向かうストーリーが共通しており、特に(1)突然髪を切る(2)何種類ものかつらをつくる(3)体にはさみを刺して自殺未遂をする−−など女性の行動が酷似している。「この部屋のエアコンディションは快適だ」「中途半端に破滅型なの」など同じ文言もあった。

 読者らの指摘で事態が明らかになった。インターネットでも話題になっている。すばる編集部は「調査中」としている。

米本浩二
毎日新聞 2005年8月18日 3時00分







↑↑↑
この記事に「ピーン」ときたらココをクリックしてね。
「人気ブログ・ランキング」にご協力を。

【メール】 ← コメントは、アラシ対策のため、メールで…お願いします。