文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

コイズミ演説は、戦後左翼革新派のコピーだろう(???)

日本の政治もとうとうここまで落ちてきたのか。一言一句に、いっせいにパチパチと拍手する自民党新人議員たちの無邪気さは、現在の日本国民の知的レベルを象徴している。むろん、僕はそれを単純に否定し、批判するつもりはない。それが、まぎれもなく、われわれ自身の「鏡像」なのだから。コイズミ所信表明演説を読んで思ったのは「自民党の左翼化」ということである。自民党の「共産党化」であり、政治家の「紅衛兵化」であり、日本国民の「奴隷化」「家畜化」である。コイズミ演説は、例によって、

「痛みを恐れず、既得権益の壁にひるまず、過去の慣例にとらわれず、国民の協力の下、一身を投げ出し、内閣総理大臣の職責を果たすべく、全力を尽くしてまいります。

というような紋切り型の常套句が散りばめられたセンチメンタルなものだ。

私は就任以来、わが国の再生と発展に向け、金融、税制、規制、歳出にわたる広範囲な構造改革を進めてまいりました。この結果、日本経済は、不良債権の処理目標を実現し、政府の財政出動に頼ることなく、民間主導の景気回復への道を歩み始めました。改革の芽が大きな木に育ちつつある現在、改革を止めてはなりません。

これが、コイズミ政治の自画自賛…(今風に言えば「自作自演」?)でなくてなんであろうか。よく言うよ。年間3万人の自殺者の上に実現される「理想の日本」なんて真っ平御免だ。と言うのが保守主義であり、伝統的な自民党政治だろう。コイズミ演説の基調低音は、「理想社会」を実現するためには何をやってもいい、という共産主義革命論のコピーであり、戦後日本に蔓延した改革・進歩主義思想のパクリである。「改革なくして明日はありません」なんて甘ったれたセリフは、少女趣味以外の何物でもなかろう。「改革なんかしなくたって明日は来るだろう。」 しかし、自殺した年間3万人には、もう明日は来ないのだ。明日などいらないから、この「私の命」をかえしてくれーっ…と、自殺者とその家族は叫んでいるはずだ。その叫びに耳を傾けるのが保守思想であり、保守政治だろう。







↑↑↑
この記事に「ピーン」ときたらココをクリック。
「人気ブログ・ランキング」にご協力を。

【メール】 ← コメントは、アラシ対策のため、メールで…お願いします。