文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■早稲田文学休刊、祝すべし。休刊決定の文学的パワーが残っていたと

 ←平岡篤頼早大名誉教授

 うっかりしていて気が付かなかったが、早稲田文学が実質的に休刊し、現在の早稲田文学は終わるらしい。僕は、先日、三田文学も、マンネリ化が顕著だから、年寄りの恥さらし状態になる前にそろそろ廃刊すべし…というような日記を書いたが、なんと早稲田文学は休刊・廃刊が3月ごろには決定していたらしい。まったく文壇情報音痴で困ったものだが、僕はこの決定は健全なものだと思う。いつまでもダラダラと続けていればいいというものではない。雑誌にも寿命がある。とりわけ、早稲田文学三田文学のような同人雑誌的要素を残している雑誌には、その時代、その世代の使命とか役割と言うものがあり、それが実現したりあるいは失敗したりして、それなりの結果が出たら、その時点で雑誌の寿命が終わるのは当然なのだ。今の早稲田文学がいつから続いているのかは詳しくは言えないが、僕は平岡教授中心の編集時代から江中教授の編集時代の頃のことはよく知っている。新宿の文壇バー茉莉花で、当時休刊中の三田文学について、復刊の手ほどきを(笑)をコンコンと指導されたこともある。早稲田文学の編集助手をしていた重松清と知り合ったのもなつかしい。中上健次三田誠広立松和平が活躍した全共闘世代の時代から、渡部直己芳川泰久など若手批評家か「テクスト」論を武器に登場した批評家中心の時代のことだ。そして今は、江中から貝沢へ編集が交代し、ポストモダン路線に変身中…、というのが早稲田文学の最近の歴史だろう。要するに現在の早稲田文学は、僕の見るところ、「平岡、江中」時代で、ほぼその使命と役割を終えていたのである。それを無理やり、延命させようとしても、そうは問屋がおろさない。若い世代は、すでに手垢にまみれた雑誌に依存するのではなく、一度廃刊・休刊し、あらたに自分達の力で新しい早稲田文学を創刊すべきだろう。表面上の休刊の理由は、実質的には経営問題だろうが、いつものことだが、そんなものは真の問題ではない。「なんのために雑誌を刊行するのか」という動機の問題であり、つまるところ学生達の「やる気」の問題なのである。つまり赤字覚悟でも、手弁当でも、どんな形であろうと、雑誌を出して小説や批評を書きたいという意欲がなくなっただけである。僕は、江藤淳の「三田文学廃刊のススメ」というエッセイについて触れたが、雑誌とは、ダラダラと続けていればそれでいいというものではない。早稲田文学休刊、祝すべし。早稲田文学には休刊を決定できるだけの文学的パワーが残っていたということだ。いずれにしろ、いつまでも未練がましく、老醜を曝すなかれ…ということだろう。終わりがあるから始まりがあるのだ。


 ★★★この記事が面白いと思った人はココも見よ!→【人気blogランキング】★★★